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  • 夫よ、ゆかりよ、ありがと

    今日は離乳食のことを書いてみたい。

    息子、やっとごはんを食べてくれるようになった。

    2ヶ月ほど離乳食をぜんぜん受け付けなくてひたすらごはんをぽいぽい投げ捨てられる時期があったのだけど、そのときはかなりめいってた。息子の体重も2ヶ月で1kgほど減ってしまったから心配もした。

    離乳食をやめようかとも思ったときもあったのだけど、ときどき少しだけ食べてくれることがあったから、ごはんを用意しないわけにもいかない。

    でもたいてい部屋中にぽいぽい投げ捨てられるだけだから、毎食後にどろどろになった部屋の片付けと、びちゃびちゃに汚れた息子の着替えに白眼になる日々だった。(息子、スタイをすると激おこ)

     

    後追いがひどいときに、なんとかなだめながら必死で用意したごはんが部屋に飛び舞う光景は地獄だったな。

     

    部屋の片付けは一種の修行、息子への離乳食はお供え物だと思おうとしたけど、無理だった。作ったものをそのまま流しに捨てると、泣きたくなった。

     

    どうにかせねば、このままでは心がやられて立ち直れなくなる!と思って、登場したのがベビーフード!おもしろいことに、ベビーフードなら廃棄するときのつらみが少なかった。手作り離乳食を捨てるときのストレスはバカにならないな。

    食べようが食べまいがどうぞどうぞとごはんの支度を淡々とした。ベビーフードを開封して器にドバッ。ドラッグストアで買いだめしたな。

    もっと早くに手作りやめればよかった!

     

    そして、ベビーフード以上に効果を発揮したのが、夫の朝ごはん担当制。これが一番わたしの心が楽になったやつだった。何がうれしいって、離乳食の相談相手ができたこと。共感してもらえたこと。

    今まではわたしが離乳食をつくったものを、ときどき夫にあげてもらってたのだけど、それだと夫も頼まれた仕事をやるだけになってた。息子がなに食べてるかもよく知らない。主体性がない。当事者意識がない。自分の工夫がない。

    でも、夫と話し合って「朝ごはんは俺の仕事」になってから、息子の好みが分かってきたり、ベビーフードを自分で買いに行ったりするように。わたしにどうしたらいいかなとか、わたしにこうしたらいいんじゃないかなとかお互いに相談ができるようになった。

    「今日も息子たべんかったよ」「時間をずらした方がいいのかな」「息子、みかんなら食べるね」「おかゆの形状、もっと水分少なくしたら食べがいい気がする」とか、そういうの。

     

    ひとりで赤子をみていると、もんもんとしてしまうときがある。前から夫に相談してたけど、うんうんそうかと聞いてくれるのみだった。周りのママに相談しても、離乳食事情も発達度もその子によるし、うちはさほど参考にならなかった。

    だから、やっぱり相談に乗ってもらったりよき理解者になってもらいたいのは、その子のお父さん、そしてわたしの夫。夫と育児についてあーでもないこーでもないと言えるのは、心が軽くなる。

    この気づきは大きかったな。当事者意識だいじ。この子はあなたの子だよ〜。あなたも自分で考えて動いて〜。これからも夫も巻き込んで育児していきたい。

    夫はひたすら一時保育に預ける時間を増やしてみたらといってて、確かに定期的に預けると気持ちもスッキリするのだけど、結局苦痛な息子のごはんの時間は1日3回あるわけだから、根本的な解決になってなくて、それじゃない感があった。

     

    結局息子は、ある日を境にごはんをもりもり食べるようになった。1歳目前の頃にわたしが食べてたゆかりごはんを息子が欲しそうにするからあげてみたら、おいしそうにもしゃもしゃ食べたことがあって、それ以来はさほど困ることなく食べてくれる。ゆかりのふりかけ見ると大興奮するくらいに食いしん坊になった。三島のゆかり、ありがとう。

    今では子ども用茶碗一杯ぺろり。体重も1週間で1kg近く増えた。増えすぎやろ。

     

    でも、息子が食べる食べないが問題じゃなくて、夫を巻き込んでの育児ができてなかっただけだった。息子の離乳食たべない問題はそれに気付くきっかけになった。

    今週2回目のブログ。雑だけど書けてうれしい。

     

     

    出産してから1年たった

    気付けば息子を出産してから1年がたとうとしてる。

    生活の流れが急激に変わって、息子中心の日々にもやっとなんとか慣れつつある。いまだに夜中3〜4回の夜泣きがあるけど、そんな細切れ睡眠にもすこしだけ身体が慣れてきた。

    息子のおかげで前は夜中の2時に寝てたのに今では22:30には消灯するように。夫の帰宅時間も22時から21時、ときどき20:30へ。

    夫婦の時間も1人の時間も激減して、ゆっくり考えごとをする時間もほとんどなく、今まで生きてきた27年間の中で一番あっという間に過ぎた1年だったなあ。でも、わたしという人間が一番変わった1年だった。すごいすごい。

     

    夫とも数えきれないほどケンカをして、そのたびに仲直りをしたから、最近ではイラっときてから仲直りするまでの時間がかなり短くなった。ライフハック

     

    休日に夫と交互にひとり時間をとってて、もう少しで今週のわたしのひとり時間がおわる。

    日々に追われる生活をしていると、自分が何をしたいのかが認識できるようになる。それはよいこと。ひとは追い込まれないと大事なことが見えてこない。

    いまは数学の問題を解くのにハマってる。ひたすら我を忘れて問題を解いてる。すごく心地よい。0歳児といるとなにかに集中する時間がなくなる。なんの生産性も意味もないけど、そんな時間がしあわせ!あと、小説。小説がどれだけわたしも助けてくれたか。気分転換という意味だけじゃなく。

    特に村上春樹の眠る女の小説は文字通りわたしを助けてくれたな。

    あと、いつも息子がわたしも助けてくれる。

    息子のとびきりの屈託のない笑顔にどれだけ助けられてることか。

     

    子育てをして1番の勉強になったこと。それは自分と折り合いのつけ方を見つけることだった。仕事でもなんでもそうだな。

     

    もっとちゃんと書きたいけど、いつもブログを書きだしてもまとまらないからといって下書き保存してそのままポストすることなく下書きが増えてくだけだったから、これでいいのだ。公開することで第一歩になるのだ。

    おわり。

     

    ちょこちょこと自分の欲を叶えてやろうな

     あまり時間がないけど、とにかく書いてみる。

    子が産まれてから圧倒的に自分の時間がなくなった。子の世話と家事しかできない。いや、家事すらあやうい。特に0〜3ヶ月まではひどかった。息をつく暇のないほど怒涛の日々で、わたしってどんな人間だったっけと考えてしまうほどには自分の時間がなかった。

    今は息子の成長とともに、一息つける時間が増えてきたはものの、自分の時間を作ることの難しさとその大切さを痛感しているところ。

     

    息子はよく泣く子で、低月齢の頃からわたしの姿が見えなくなるとすぐに涙をぽろぽろ流しながら号泣していた。こんなに泣かせてまで家事をする意味とは?とよく考えた。

     

    わたしが何かをしたいと望むことで、結局それをすることができなくてイライラしたり不満を抱いてしまうケースがほとんどだったから、それならば何かをしたいと望むことをやめようと思った。

    自分の時間がほしいと思うとイライラしてしまう。だから、ただひたすらに無心になりたいと何度も思ってしまう。

    ひとりで散歩したい、好きな作家が出した新刊を読みたい、二子玉でやってる展示会に行きたい、新しくできたフレンチのお店にランチしに行きたい。

    いや、もう根源的なところからいうと、寝たい。心ゆくまで寝たい。一度でいいから5〜6時間まとまって寝たい。あとは欲を言わないから、息子のことを気にせずのんびりごはんを作ったりだらだらと洗濯物をたたんだりしたい。でも、叶わないことばかり。

     

    だから、欲を持ちたくない。目の前にあることにアルカイックスマイルで淡々と取り組んでいたい。毎食納豆ごはんだけで満足できる体になりたい。4時間睡眠でも動ける体になりたい。家にずっと引きこもっても大丈夫な心になりたい。いつも息子の世話しかしてなくて平気になりたい。

    何かをしたいという望みを持ちたくない。

    もう修行僧みたいなことをよく考えてたし、今も時々そう思う。あやうい状態。

     

    でもでも、人間だから何かをしたいと思うのはとても健全なことだし、それを押しつぶしてしまおうとするのはどこかに歪みがでてきてしまう。たとえば仕事に毎日出かけられる夫にイライラしてしまったり。

    だから、ちゃんと、自分の何かをしたいという気持ちに向き合って、折り合いをつけながら少しずつ叶えていってあげたい。そのためには夫や周りに甘えなきゃな。

     

    ちなみに、したいことというのは2種類に分けられる。1つは主に洗濯や部屋の掃除とか離乳食を作ったりするような、家族のために時間をさくやつ。

    もう1つは自分ひとりがたのしむための娯楽のやつ。

    奇跡的に空いた時間は、どうしても前者にさいてしまいがちになる。

    「今のうちにあの料理だけ作っちゃいたい」「洗濯物だけたたんじゃおう」「このすきに離乳食のじゃがいものペーストを作っちゃっておこう」とかとか。

     

    結局、手放しで15分以上の空き時間がなかなかとれず、自分の娯楽の時間は夫に息子を預けないととれない。それも月2〜3回ほど。1〜2時間。

    これは不満のもとになる。奇跡的な空き時間こそを自分のためだけに使うようにしたい。

    好きな小説を読むだけで、ひとりで街を歩くだけで、そのあとに対面する息子が数百倍かわいく思える。夫に数千倍やさしく接することができる。プライスレスな時間。

     

    育児に大事なことは、ちょこちょことした不満を積み重ねないこと。ちょこちょことした満足感を積み重ねることなのかもしれないな。

     

    子を想うと乳がでる

    子育てをしているといろんな驚きと発見がある。

    その中でも、ふと思い浮かべるだけで身体に何かしらの影響があるらしいということに大きくびっくりした!

     

    今わたしは母乳を子にあたえているのだけど、夫に子を預けてリフレッシュしに散歩へ出かけたときに、ふと我が子はどうしてるかなー?なんて考えるだけで、母乳がブラジャーの中にぽとぽとこぼれ落ちることがある。

    この前は子をお風呂に入れているときに、「ああ、この子が母乳を飲まなくなる日がくるのか。さみしいなあ」なんて考えただけで、母乳がぼたぼた垂れてきた。(それを子が嬉しそうにぺろぺろしてた。萌え。)

     

    ちょっと思い浮かべただけで、ちょっと考えただけで、身体に反応がでる。これってすごいことじゃないか?どんな化学反応が体内で起こってるんだろう。ちょっと神秘的。

    思い浮かべること、考えることをバカにしちゃいけないなあと改めて思った。気持ちと身体は繋がってるんだよ!(バンバン!)当たり前っぽいことだけど、わたしは最初びっくりしてワナワナしたよ。

     

    身体からの反応が「乳がでる」という、目に見える出力だから気付けたことなのだけど、つまり悲観的なことを考えただけで目に見えないけどなんちゃらホルモンが体内で放出されてたり、ぱっと明るいことを妄想するだけでもなんか心身に良さそうな化学反応がいつのまにか体内で起こってるってことだよな。

    子を産んでから、心と身体のつながりをよく感じる。

    子を産んでから、自分がいかに機嫌よく過ごせるかを基準に生活してる。

    子を産んでから、考え方や行動をいったんリセットして見直してる。じゃないとやっていけないからなんだけど。それほど子育てはたいへん。

    でも、子を産んでから、良いことずくめ。

    わが子よ、ありがとな。

    具体的なことを書く時間がないのが悔やまれる。子育て中は時間がない。時は金なり。

     

    いつのまにか

    あけましておめでとうございます。

    いつのまにか子が産まれました。

    男児です。

    よく泣き、よく笑い、よく乳をのみます。

     

    わたしは赤子に翻弄される日々で、いつもバタバタ。ほっとする時間は1日のあいだでごくわずか。それだからか、以前ほど悩まなくなった。

    朝起きて、ごはんを作ってもりもり食べ、排泄して、散歩して、昼寝して、すきまに掃除と洗濯をちゃちゃっとして、またごはんを作って食べて、お風呂に入って、寝る。子と生活を共にすることで、なにか思い悩む暇もなくひとつひとつ全力で行動してる。前は時間に余裕があったんだなあ。

    体力的に「もう無理や」…、と思うことも多いし、いつもめまぐるしいけれど、わたし生きてるわーと思う瞬間がよくあり、たのしい。

    今が人生でいちばんよいです。毎日がよい日です。わたしにこんな日々が訪れるとは。

     

    今年も穏やかに過ごしたいねと、夫と話しながら大晦日の夜を過ごした。

    今年は年越しを待たず22時就寝だったけれど、息子が夜泣きで起床したのが23:53だったので、夫がオムツを替えながら、わたしは授乳しながら、今年もよろしくと言い合えた。

     

    また、ここで何かをぼちぼち書きはじめていけたらいいな。

    パートナーの無自覚な不機嫌さにどう対処するか

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    夫が外から帰ってきたときに不機嫌だったり落ち込んだりしていたら、一緒にいる妻も嫌な気持ちになったり腹ただしくなってしまうことは、どこの家庭でもよくあることだと思う。

    やっぱり「夫 帰宅 不機嫌」でググると同じ悩みを抱えてる人がいる。

    他人同士が2人以上で同じ屋根の下に暮らすと、他人の機嫌にどうやっても左右されてしまうし、どう対処するのかは大きな問題だと思う。どこの家庭でも取り決めがあるもんなんだろうか。

    よく外での嫌なことを家庭に持ち込むなというけど、持ち込むなとは言わないからせめて当の本人がその状態に気づいてほしいとわたしは思う。

    自分が不機嫌な状態だとか落ち込んでるとかイライラしてるとか、それをパートナーが気付く前に事前に伝えることが事態の悪化を防ぐことになるんじゃないか。そう思うことが最近あったので、書いておく、

    ☆☆☆

    昔はわたしが情緒不安定だったから、夫が帰宅後に不機嫌そうな言動を取るとすぐに「怒ってる!?」と怒ったり泣いたり面倒くさいことをしていたんだけど、今から思えばそのおかげ(?)で事態が悪化する前に早い時点で事を鎮静化できていた気がする。小さなぼやでもすぐにわたしが騒ぐから大きな爆発が起こる前に夫がごめんごめんと慌てて消化パターン。

    でも最近はわたしがだいぶ元気になってきたので、夫の不機嫌な態度が始まったら、またか...(´-` )とやんわり流したり、もういいや放っとこ( = =) と思ってお皿洗いやお風呂に入るなどして、夫の近くにいないように努めてる。でもそうすると、皿洗い後やお風呂あがった後も夫の機嫌はなおってないことがある。結果としてわたしの居心地の悪さが長引くことになってる。

    なぜだ。なぜわたしが元気になったら、居心地の悪い時間が長くなるんだ。いっそのことわたしは、なにがそんなひ不満なのよ!とかグチグチいってやったほうがいいのか?とさえ思う。

    ☆☆☆

    昨日、そのくすぶってたわたしの不満が、ついにどっかーんと爆発してしまった。

    経緯は一昨日の小爆発へ話がもどる。同じテーマでわたしがちょっとそういう態度傷つくよ!と夫に口調を荒くしていったことが始まり。少し険悪な雰囲気になったから、寝る前に怒ってごめんね、俺も悪かったとふたりとも少し涙ながらに仲直りしたはず。

    なのにまた昨日も夫が帰宅したら、ふてぶてしい感じ。そしてそのことに本人が気がついていないことがより憎らしかった。

     たとえばこんな感じ。

    「今日はランチでこれたべたよ(写真を見せる)」「ふーん(わたしの携帯を見ずに自分の携帯ぴこぴこ)」

    「あ、そうだ。この前話してたあの件で返事が来たよ」「へえ(携帯ぴこぴこ)」

    「あと◯◯が△△になったんだって。知ってた?」「知ってるけどなに?(携帯pik..)「あ、そうなん」「うん」

    そんな大してひどくもないけど、ごはん食べるときもうつろ。ひたすら無口でネット以外に興味がない。

    わたしが仕事から帰宅してからごはんを作ってるあいだ、昨日は怒って悪かったなとか、疲れてるところ寝不足にさせてしまったな、今日はやさしくしようと考えてたのに、夫は今日も無自覚不機嫌。昨日のいざこざなんかあったっけというくらい。わたしばっかり、っていう気持ちが抑えられなくなったんだと思う。

    もういいよ。昨日の衝突はなんだったん?なんのためのケンカと仲直りの時間だったん?と冷静に問いかけたら、そこで夫はやっと自分の態度と昨日のできごとに気がついてごめんと謝り、今度は落ち込みが始まる。重いだんまりが始まり何も動かなくなる。

    大丈夫だよ。疲れてるんだもん、仕方ないよ、とわたしのフォロー。

    だんだんこの流れにイライラし始める。わたしも金曜の夜でお互い疲れで多少気が立ってるのに。

    ☆☆☆

    いろいろあったけど、話し合った結果はこんな感じ。長い。

    ・夫が不機嫌になったとき、たいていわたしは夫を攻撃する前に仕方ないよねと思おうとする

    ・なぜか。それは他人に、なんで怒ってるの?とかいわれても、イライラしてるときはうるさいなあとか反感を買うしかないんじゃないかとわたしは思うから。

    ・なぜ怒ってるの?しんどいの?何か嫌な気持ちにさせることわたし言った?もっと話きいてよ。適当にしないでよ。文句があるなら言って。黙ってないでなんとかしゃべって。これら全部相手を問い詰めてることになるからアウトな気がする。

    ・でも、仕方ないよねで片付けてばかりだとわたしの不満はいっこうにおさまらない。相手が嫌な態度をとってるのに我慢してなんとか仕方ないでがんばって気持ちを処理しようとしてる。あとスルー力を身につけようとがんばってる。

    ・パートナーの感情や事情を汲んであげること、それは大事だけど、片方が一方的に汲んであげたり察してあげるのは、ちょっとちがうんでないか

    ・ちゃんと本人が自分の事情や気持ちを説明してほしい。今日は疲れてるわ、と伝える。嫌なことがあってね、今日はなんだか落ち込んでるんだ、とかそういうの。相手もそれを聞いたら、ちょっと優しくしようとかそっとしておこうとか、接する態度を変えられるはず。

    ・自分の機嫌や状態を相手に伝えることは、一緒に暮らしていく上でのマナーじゃないのか

    ・ちゃんと相手に伝えるためには、振り返りや内省の時間をとって、自分が今どういう気持ちでいるのか、どういう状況なのかを把握することが不可欠。

    ・振り返りや内省はひとりの時間が必要。余裕が必要

    ・余裕がないからイライラするの?でもひとりの時間は本当にがんばっても確保できないの?少しの余裕もつくれない?

    ・たとえば仕事を30分早く切り上げる、早く起きる、ランチの時間を同僚と食べに行くんじゃなくてひとりでたべる帰宅する時インターホンを押す前やドアを開ける前に、少しだけ立ち止まって考えてみる

    ・それだけでもぜんぜん違うと思う。事態は変わらなくても(結果的にイライラしたり不機嫌な感情を持ったまま帰宅したとしても)、相手に今「俺いまこうだから」と説明ができる

    ・ちゃんと状況を把握できていなかったとしても(振り返ったけど別に不機嫌じゃないやと思って帰宅したらわたしの前で不機嫌な態度をとってしまったとしても)、本当はこうしようと思ったんだとか、不機嫌じゃないと自分で認識したんだと、説明ができる。

    ・わたしも今日は疲れてるから晩ごはんは適当にしようと思っててもなぜか頑張っちゃって結果的にイライラするパターンはよくある

    ・説明ができると対策がねれる。わたしの場合だと、疲れてるから適当にと思っても、疲れてるときはハイになってるからがんばってないつもりでも普段のわたしからするとがんばってしまってる。ならそういうときはいっそのことなにも作らず外食にしてしまおうとか。状況把握も何もわからないと対策もねれない。夫も、今日の状態を「不機嫌ではない状態」と判断したけど、○○な気持ちがあるのなら「不機嫌」と認識してもいいかもねという話し合いができる。

    ・どうしたら精度をあげられるか。精度を上げるのはずっと先でいい。むしろうまくいくことがゴールじゃない。またやっちゃった、次はこうしよう。その連続だと思う。日々トライアンドエラー

    ・夫が把握して伝えようとする姿勢や意識が分かる分だけ、わたしも仕方がないよねと本当に思える。

    ・だって努めてたのにうまくいかなかっただけだから。把握しようとも思わず次に活かそうともしない姿勢だと、それに合わせる側のわたししか努力してないことになる(仕方ないよね念仏、スルー力)。それはわたしの不満となる。

    お互いが気をつけていこう、お互いがふたりの生活を良くしようとする努力だからわたしも気をつけようと思うんだだ。どちらか片一方だと、不満がたまる。わたしだけ頑張るの?となる

    ☆☆☆

    無自覚なことは罪だ。指摘するのはいいけど、その頻度が多かったり指摘されてもうるさいなという態度だったりすると、一緒に住むのが少しつらくなる。

     今回はこれでおさまったけど、たぶんこれからもこの話し合いは続くと思う。一朝一夕ではどうにもならない感じです。

    あと話し合いには忍耐が絶対的不可欠すぎて体力つかう。

     

    仕事が苦じゃないぞ

    すごく怖い夢みた。

    どんどん追いかけられるし突拍子もないところから手裏剣より鋭利なものががんがんびゅんびゅん飛んでくるし、爆発して体を吹っ飛ばされるとか斬殺的な攻撃もあって悲惨だし、仲間と思ってた人が仲間じゃないし、そこらへん歩いてる一般人も実は敵だったし、なにも信用できなくてすごいつらかった。

    ついに場面はクライマックス(?)を迎え、敵どもと対峙し全面衝突っぽいところで、窓の外から子どもたちが「おーい!!おーーい!!」と大きな声で叫んでる音が聞こえた。 それでもわたしは「このまま夢の続きを見なきゃいけないんだー」という変な正義感から起きたくない!という気持ちがあったけど、もしかすると子どもがわたしを助けようとしてくれてるんだなあと解釈して、夢かうつつかの狭間でなんとか目を覚まして1日を開始した。

    結局あの子どもたちの声は、なんだったんだ。本当に近所の子どもの他愛もない声だったんか、それともわたしがつくりあげた幻聴だったんか。 うーん。 まー、どっちでもよい。 助かった。

    ***

    結婚式が終わりました。 あんなにたのしくてうれしいことはないんじゃないかと思うくらい、夢のようなよい1日だった。本当にああいう機会をもててよかった。

    そして、仕事を始めました。 経理のお仕事です。 今のところたのしんで仕事できてて、あまり苦痛を感じてない。職場の方も良い人が多いし、何より誰にも追い立てられることなく自分のペースで作業できることが、すごいよい。

    わたしがまたオフィスワークしてるなんて、まだちょっと信じられない。 前職の影響で、事務みたいな閉鎖的な空間にこもって人とこれやってあれやりますみたいな会話を持ちながらの仕事は、もうできないだろうなと思ってた。 わたしは理解力がかなり乏しいからみんなに迷惑かけるし、がんばってもどうにもならないことだから性質的に向いてないのかも、とか。

    もちろん今も、何をお願いされてるか分からないこともあるし教えられてもいまいちピンとこないことがよくある。それどころか間違えた理解をしてて、へんな数字を出してしまうことも結構ある。 だけど、上司の方は嫌がる様子も見せず丁寧に毎回教えてくれるから、わたしも安心して質問できるし間違えたことを報告もできる。同じ質問しても怒らない。これすごい。奇跡。ワンダフル。

    こんな職場が世の中にあったんだなあと思った。 いや、あるんだろうということは分かってたけど、そんな会社がわたしを求めないだろうなと思ってた。

    鬱々してた頃から比べるとだいぶ明るくなったけど、仕事に関してはまだまだ卑屈なところが強くて強固なコンプレックスとなってたみたい。仕事へのコンプレックスが強いと、夫や友だちとの会話の中でもつらいなあと思うことが多いのでどうにかならんかなと考えてた。

    それならいっそやってみようと思い立った。思い悩むよりは、自分にでもなんとかできる仕事もあるし会社もわたしを求めてくれるところもあるんだよと自分に証明したくて。 でも、ことごとく面接に落ちた。 新人に優しいような健全な会社は、1年半で辞めてそれから2年フラフラしてたわたしを欲しがるはずないよなあ〜と諦めそうになった。

    でも今、なぜか今の職場に拾ってもらえた。いまだに信じられない。うれしい。うれしい。そしてすごくたのしい。

    仕事せずのらりくらり家のことしたり本読んだり、いつでも自由なことができたのもすごくいい時間だったけど、仕事を始めたことで日々にメリハリがついた。ごろごろすることの気持ちよさとありがたさが増した。

    周りの人は「おー、やっと働き出したか」くらいの反応だけど、わたしにとっては周りの景色が少し変わって見えるほどの心境の変化がある。

    朝起きられるかなとか、帰宅してからごはん作れるかなとか、そういう心配もあったわけだけど、今のところ思ってたほど苦なくできてる。

    たぶん体力がついたんだと思う。気持ちの面でも少し楽に考えられるようになったってこともあるだろうけど、それ以上に体がモリモリ元気であることの方が大きいと思うんだ。

    疲れて帰ってきても、ごはんをうまいなと思いながらモシャモシャ食べられて、お風呂にはいってファ〜〜といい気分でため息つけて、夜になるとコテンと眠れるような、そういう体力。健全さ。THE 健康感。

    長い長い休眠生活があったからこそ、こういう体力が少しずつ養われてたんだなあと思った。

    朝起きられないとかごはんがつくれないとかは、体がついていかないから。たぶんいわゆる健康な人は眠たくても頑張ったら這ってでも起きれるだろうけど、わたしは頑張っても物理的に起き上がれなかった。あのときの敗北感とか情けなさときたら…。

    「眠いけど頑張って起きたら起きれた」っていう事実はすごい自信になる。今はひとつひとつのことがわたしの自信につながってる。

    よいことだ。 うんうん。

    結婚式の準備であれやこれや

     

    結婚パーティーの準備、すごくたのしい。 ホテルや式場みたいなところではなくてオーダーメイド的につくっていくタイプのところにしたから、雰囲気はもちろん衣装や小物とか全部好きなようにできる。自分たちが今までかわいいとかきれいなデザインだとか思ってたことが、どんどん具現化されてくのってとてもすてきなこと。しかもちゃんとしたプロの人がつくったり手伝ったりしてくれる。料理も見栄えがしておいしいものがどんどんあがってく。これは思っていた以上に贅沢な気分で、なんだか申し訳ないくらいうれしい。特に招待状はうれしかった。すごいかわいいものができた。

    春っぽいけど甘くなく爽やかな感じで、鳥と旗と葉っぱと黒猫とかのモチーフをといってイメージ画像をたくさん見せて相談したら、ドンピシャなデザインの招待状がでてきた。うおおお!ってなった(でもあとから気付いたけどだいたいゲストにはメールで連絡とってたから、わざわざ招待状送らなくてよかった…。ちょっと2人とも気分が盛り上がりすぎてた)。 それからウエディングの専門用語(ペーパーアイテムとはなんぞや?とか、ウェディングツリーリングピローとか、、)もたくさんあって、イメージ画像を探すときにそのことばを入力しないと検索画面に出てこないこともあるから学びが多かった。pinterestっていうサービスも名前は知ってたけど今回すごい使ったし重宝した。結婚パーティーが終わってもたぶん使う。あと、普段なら絶対行かないような布の卸街(日暮里)や手芸店(浅草橋)に行ったのもおもしろかった。たくさん検索したし人に訊いたしいろんなところに出向いたしいろんな新しい種類の道具を使った。すごい大袈裟にいうと世界が広がった(いや、やっぱり大袈裟すぎる)。

    恋人やプランナーさん方とみんなでつくりあげてくことはすごいおもしろくてわくわくするし、費用もDIYが多いから結婚式の相場より断然安いんだけど、やっぱりいくつか問題点が。

    まずは如何せん手間がかかる。当たり前なんだけど。いろんな選択肢とか候補の中から「選ぶ」のではなく、なんでもありの中からひとつのイメージを持ち、それを具現化していきつつ決めるような、そういう「選ぶ」作業がずっと続いている。凝ろうと思えばいくらでも凝れるから、時間がいくら合っても足りない。テーブルの上のナプキンを布の卸の店まで行って膨大な布の素材や柄から選びにいったときはへとへとになりすぎて、ここまで凝るのはちょっと違うと思った。

    たいへん。本当にたのしいけど、すごくたいへん。

    それから問題点がもうひとつ。

    具現化するには、まずわたしたち夫婦2人がいいなと思うイメージをすりあわせてイメージ画像をたくさんあげて、それをプランナーさんに相談しながら自分たちが調達したり作れるものは作り、自分たちだけじゃ難しいことは依頼したり手伝ってもらったり、という過程なんだけど、最初の2人のいいなと思うイメージのすり合わせがとてもむずかしい。

    わたしは、「かわいい、素敵、よい」という範囲が広い。その一方で恋人はその範囲がかなりせまい。とても凝縮している。せまいけど確かにそれは、シンプルだけど目を惹き、洗練されてるわりに気取ってなくて素敵、というデザインなのでぐうの音も出ない。

    わたしがかわいいと思う範囲の中に恋人のかわいいが必ず含まれてる。ちぇっ。

    フルタイムで働いている恋人の方が時間がない分、わたしが足を運んだり画像を探したりしてたくさんの選択肢や候補をあげるんだけど、ことごとく却下されるのがかなしくて時々つらい。ときどきお伺いをたててるような気分になる。でも確かに恋人のほうがセンスがいいのだから仕方ないのかもしれない。

    でもそういう類の衝突は、何かをいいものをつくろうとすると避けられないものだ!と2人で言い聞かせてる。

    最後の問題点は、恋人の時間が足りなさすぎて疲弊しきってる。わたしが選ぶから休みなよ、といっても俺も選びたい、、という。技術者だからかなんだか知らないけど凝り性で妥協しないからたいへんそうだし、体調が心配。

    結婚パーティーの準備は非日常感があふれててとてもたのしいけど、平々凡々な日常が少し待ち遠しくもある。

     

     

    揉むことは祈り

    久しぶりに揉んだら腕がいたい。

    実家に帰ってたんだけど、まだ家の状況はあまりよろしくなくて、必死に揉んでた。
    姉、母、父、祖母の背中、首、肩甲骨、腰をみんなで揉む。

    これは昔からの習慣。習慣なのかなんなのか。ただの祈りの行為。

    ***
    家が徐々におかしくなったのは、誰が悪いわけでもなかった。泥沼化していたので誰もがどれだけがんばっても空回りして、状況は何ひとつよくならなかった。

    何も解決せず苦しいままでなすすべがない状況のときに、わたしたちはお互いの体を揉んだ。マッサージというより、揉む、さする。わたしたちにできることはそれより他なかったと、今でも思う。

    人は悲しいことや苦しいことが続くと、全身が痛くなる。不定愁訴。解剖学的にも病理的にはどこも悪くないんだけど、とにかくずっと続く背中や腰、肩や首、座骨神経などの痛み。痛みがさらに苦しみを生む。

    状況や状態は施しようがなくても、わたしたちは揉む時間だけ楽になれたと思う。
    それは揉む側にとっても揉まれる側にとっても。

    揉むことで相手を労わり、償う。
    揉んでもらうことで相手を許し、受け入れる。償うように、祈りを捧げるように、わたしたちはお互いを揉み、揉んでもらった。
    そういった象徴的行為だった。

    みんなが楽になりますように。少しでもつらさがおさまりますように。落ち着きますように。
    さっきはごめんな。ひどいことしたな。しんどかったな。つらかったな。大丈夫だからな。揉んだりさすることしかできなくてごめんな。

    揉むこと、揉まれること、それが救いだった。その時間が終わればまたつらい時間が始まるけど、揉みおわったら不思議と少しだけがんばろうと思えたりした。
    混乱状態も、揉むことで鎮静化することもある。眠れないときには揉むことで眠れることもある。
    揉むことしかできない。あなたにできることは何もない。ただ、一瞬でも楽になってほしい。

    ひたすら2時間揉むことはざらだった。腕が棒のようになったけど、でも何もできない非力な自分を認めるより筋肉の痛みの方が我慢できた。

    ***
    今わたしは夫を揉み、夫に揉んでもらう。それは前のような悲壮感が漂う死に物狂いで懇願するような祈りではなく、淡い希望のような祈り。
    少しでも疲れがとれて、明日がちょっとでもはつらつとした気分で過ごせますように。深い心地よい眠りが訪れますように。

    揉むことは大なり小なり、尊い祈りの行為だと思う。

    あけましておめでとうございます。

    ニキビが劇的によくなる

    「ニキビ 治らない」のワードでこのブログにアクセスしてくれる人が毎日一定数いる。
    たぶんこれ。

    この記事を書いてから思い切って皮膚科に行ったら、嘘みたいに肌がよくなりはじめてる。
    皮膚科恐怖症を克服できてよかった。

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    そもそも皮膚科恐怖症になった訳をまず書いとく。
    わたしが皮膚科ですごい目にあって、もう絶対にいくもんかという強い決意を固めたのはおよそ10年前。
    当時、皮膚科のクリニック(診療所?)は近くに1件しかなかった。近くといっても家から車を40分ほど走らせないといけないんだけど。皮膚科といえばその小さな皮膚科クリニック1択で、わたしの周りの人もアトピーや腫れ物ができたらみんなその皮膚科に通ってるという感じ。

    わたしは当時、思春期特有のニキビが顔中にできて、とても苦しんでいた。肌が汚いと自分の容姿すべてに自信が一切合切なくなる。藁にもすがるような気持ちでわたしも周りの人と同じように、その皮膚科の門を叩いた。
    そこでニキビを全部潰された。先生の指示で、看護師さん2人に押さえられながら変な器具で顔中のニキビをぷちぷちぶちぶち潰されていった。小さいのも大きいのも白ニキビも赤ニキビもたぶん全部。


    http://unoa.skr.jp/osaka/nikibikigu.jpg

    看護師さんが、これはやりがいがあるわあ〜とつぶやいたのをわたしは忘れない。
    痛すぎてゔぁ〜だかぐおぉ〜〜だか唸ったに涙もぼろぼろこぼれた。
    本当にこんな療法で治んのか!?という疑念と怒りがわいたけど、もうあとのまつりだし、なんとか最後まで耐えようとした、けど、わたしは途中でバンッと立ち上がって「もうムリですー!!」とかいいながら逃げた気がする。待合室にいる祖母の元にいこうとしたら、その場にいたじいさんばあさんの視線が一気に集中した(後から祖母にきいたらどうやらわたしの顔中が血だらけだったらしい)。

    看護師さんにとっ捕まえられて、なんかの薬ぬられてガーゼを顔中に貼られて戻った。そこでもやっぱり視線がいたいし「まあ〜(ひそひそ)」という声もきこえたから、手鏡を使って初めて自分の顔を見てみると、血に染まったガーゼだらけの顔があった。怖くてもうガーゼはめくれなかった。
    ヤブ医者くそがーーー、みたいなことを思ったんだかなんなんだか忘れたけど、とにかくそのとき、わたしはニキビで皮膚科に行くことを一生やめようなと将来のわたしと約束した。

    ***
    しかしながらわたしは先日、10年前の自分との固い約束を破って、のこのこと皮膚科へ赴いた。
    もちろん皮膚科に対する恐怖と抵抗感はかなりのものだったけど、今の肌状態もおおいにつらいものだったし、この状況の打開策はプ◯アクティブか皮膚科の2択だったし、なにせここはあのトーキョーだし、あそこのど田舎ヤブ医者皮膚科とは違う皮膚科があるだろうし、そもそもあれは10年前だし、医学も軒並み進歩してるなら皮膚科もニキビをつぶすという原始的な治療法のままじゃないはずだろうし、ってかそうじゃないと困るし怖いし…と、ブツブツ自分に言い聞かせながら、なんとか行ってきた。どこの皮膚科にいけばいいのか悩んでいっぱい調べたけどよく分からなかったから、恋人の会社の人からおすすめを教えてもらったとこに行った。

    結果、よく効いた。めっちゃ効いた。

    最初の2〜3日

    もらった薬を化粧水・乳液のあとに塗り塗りする日々を続け、2〜3日後から変化が現れはじめた。肌が真っ赤になって顔全体がヒリヒリする。めっちゃ痛い。ファンデーションはもちろん、化粧水さえつけるのが苦痛。超敏感肌用の化粧水なのに。あと乾燥がひどい。つらい。
    でもトーキョーの先生が、最初はひどくなっちゃうけど必ずよくなるからねと念を押してくれたのを従順な子犬のように信じて塗り続けると、1週間後には皮膚の弾力が変わった。
    ごわごわしてた肌がもちもちに。
    これがもち肌というやつか!と興奮。でもこの時点ではまだまだニキビだらけのぶつぶつぼつぼつ顔。あごのあたりはまだまだ変化なし。炎症を起こした赤いぼこぼこだらけ。

    3〜4週間

    ニキビのない箇所の表面がつるつるに。
    ニキビのぶつぶつは依然とあるし、新しくできるものもあるけど、できるスピードがおさまりつつあることが分かった。まだあごはぼこぼこ。化粧水は前ほどではないけど、多少しみる程度。乾燥は続く。カピカピする。この辺りでホホバオイルを購入し、ぴたぴた塗りつけるようになる。

    1ヶ月半〜2ヶ月(←現在

    生理周期の関係で肌荒れがひどくなることもあるけど、平均的に肌荒れ具合が落ち着いてきた。前はできるニキビすべてが炎症系の大きなぼこぼこばかりだったのが、今ではぽこぽこな感じ。少しぷつぷつに変化しつつあるのもある。頬や小鼻の毛穴が小さくなってきた。化粧のりは皮膚科にかかる前と比べて歴然としてる。乾燥も前ほど気にならなくなりつつある。ホホバオイルのおかげか、薬に肌が慣れてきたのか。化粧水が前よりよく浸透するようになってきたからだろうか。
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    先生いわく1年半〜2年続けたら、ニキビ跡やくすみも含めて全体がきれいになる、とのこと。
    !!!う、うれしい…。それを聞いた時は目がうるんだ。
    皮膚科をもう一度信じてよかった。絶望する昔のわたしに「10年後には皮膚科のニキビ治療が急進歩してるよ」とこっそり教えてあげたい。
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    肌が綺麗になると、本当に自信がもてる。化粧がたのしい。前ほど人目が気にならない。洗顔をするとき肌がもちもちして気持ちがいい、堂々と髪をアップにできる。プロアクテ◯ブのCMの使用感の人みたいな感想がどんどん出てくる。

    皮膚科に行ってない人およびあの器具でニキビつぶされている人に朗報です。ぜひ信頼できる皮膚科へGoです。もちろん僻地に住んでて近くの診療所的皮膚科1択の人は、特急や高速バスなんか使ってでも、いい皮膚科へ通った方がいいかもです。その価値ありです。
    ただまあ、皮膚科にかぎらず、病院探しはほんとうに難しい。

    最後に一言。これは個人の感想であり、効果には個人差があると思うので、薬の名前などは公表することは控えます。

    この世にニキビで絶望する人間が、少しでもいなくなりますように。