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わたしは博愛主義的なところがあって、それは八方美人とも言われる。優しいからじゃなくて自分に自信がないからだと思ってたけれど、最近こどもの頃大好きだった児童書『みどりのゆび』と図書館で再会して、やっぱり心がすごく震えて。
そもそもわたしは優しい気持ちを持ってる人でありたいんだ。
みんな頑張っていて、みんな困っていて、悪気なくて。意地悪なことをしてしまう時もあって。
わたしはいつもみんなに優しくありたい。
優しいだけじゃ結局自分が傷ついたり身体が持たないことが大人になって分かったけれど、根本的に優しくありたいのは悪くないし、それがわたしなんだわ。
こどもらしいとか大人になりきれてないとかあるかもだけど。昨日は伊藤野枝さんのドラマ「風よあらしよ」を観て、大杉榮さんが野枝さんからもらった手紙をみて、センチメンタリズムこそが大事、俺も取り戻したいと叫んだ場面で涙がでた。
同情しても仕方ない。なにもできないんだし。諦めるより他なし。うまく世渡りしてく方がいい。
大人になると同情は幼稚な感情、感情はしんどい、淡々とやってくことが良しとされる。わたしも妻となり母となり、隣の人の困りごとよりも我が家の平和を大切にするようになった。困りごとに心痛めることは無駄なことのように。悲しいニュースをみて心痛めてたら息子が不安がるからニュースを見ないようにしている。社会問題はしんどい。政治もしんどい。腹が立つ。
夫は辻さんだ。腹を立てても意味ない。どうせ変わらない。
そうだね、日々の暮らしの方が大切だ。それは間違いない。
(わたしはそこまでは入れ込まないぞ。これは危ない道だ。みんな悲惨な死に方をしているな、、)
仕方ない。変われない根幹的なところなんだ。
それはこどものころから、おばあちゃんとお寺に通っていて、お互い様やお陰様の精神が深く刻み込まれてるからだと思う。それは、おばあちゃんのいつも人のために動いてる姿に憧れとかすごいなとか思ってたからだと思う。
自分を守るために相手を攻撃したり、困ってる姿を見てみぬふりするのは、わたしの生き方にそわないんだとおもう。
愛想笑いをする自分は弱いんだと思ってたところあるけど、人からつけこまれないように、ぞんざいに扱われないようにと目を鋭く声を低く淡々と話す自分が自分らしいかと言われたら、やっぱりしんどい。
相手を守るために自分をなげやりにするのもちがう。
でも、中学生の頃、雨にも負けずの詩を読んで、深く意味も分からずともものすごく胸が熱くなったことが強烈な体験として覚えている。やっぱりわたしはこういう人になりたいんだ。無理だとしても。馬鹿正直と笑われても、ひとからぞんざいに扱われても。
わたしには信仰がある。あたたかい心がある。お天道様がみていてくれたら、それでいい。それで満足する人になりたい。
満足する人になるんだ。
夫からどう思われるか、母親からどう思われるか、そんなことは無理だ。人からの評価は思い通りにならない。
損とか得とかなんてどうでもいい些細なことだ。
わたしは、自分の大切にしたい心を大切に守ればいいんだ。
人からぞんざいに扱われたら悲しくなるけど、そのたびに落ち込めばいいんだ。心身をすり減らせばいいんだ。
でも、自分の大切な家族に機嫌良くいられる分は残しておくんだ。わたしの1番大切なのは家族だから。
本当に、本当にささいな余裕しかいつも残ってないよ。家族にも優しくできなくてイライラしてしまうよ。そしてまた自己嫌悪。
わたしのことを粗末に扱うのなら、放っておけばいい。でも、助けを求めてきたら助けたい。今はみんな気軽に助けてがいえない。わたしも言えない。だからつい、おせっかいをしてしまう。
セーブするくらいがこの時代にはちょうどいいのかも。
わたしは人のことを見る目がない。誰でも信じてしまう。特に人当たりの良い、良いことばかり言う人を信用してしまう。アムウェイ的なことをいうひともいつも人当たりがいい人だった。口がうまい人だった。
困ってる人を助けたいと思えばつけこまれる。
困ってる人は助けてもらうことを望んでいない人もいる。おせっかいをすることで嫌がられることもある。
塩梅が難しいけど、ちょっとしたお節介は図々しくやっていきたい。
人から嫌われたり煙たがれることを引き受けずに、自分の好きな生き方はできない。
困ってる人を助けたければ、まず自分のことをちゃんとしろともいわれる。いつも機嫌よくいたい。まずは。まずは。
ルーティンを大切にしよう。不安や心配なこたにとらわれすぎないようにしよう。いつもゆるませ、目の前のことに集中して没頭しよう。
夫には悪気はない。
じゃあ、伝えずに我慢するのかいいのかといわれたら、そらもちがう。
怒りの心が静まったそのとき、余計なことばわ取り除いて、おかしいと思うところをそのまま淡々と伝えること。
今日はママ友に「さぞ〜なんだろうね」というような皮肉を言ってしまった。
本当に思ったことだけをいえばいい。おもしろおかしくなんて、いいよ。
うまいこと言おうとしなくていい。
人を傷つけるくらいなら、面白くない人と思われたらいい。
うまいことを言おうとして、うまいことを思いつかなくて、沈黙が怖くて、焦って相手を嫌な思いをさせることを言ってしまう。
そんなことばかり。
自己嫌悪にはもう飽きたよ。ほとほと疲れたよ。ひどい自己嫌悪に陥ると、家族にも周りの人にもそもそも全然優しくできなくなる。
しょうがないよ、全部を完璧にできる人なんていないよ。
こうしたい、ああしたい、うまくできやかった、ごめんね、ありがとうね、やっぱりこうしたい。この繰り返しだ。
しょうがない。
人間だもん。怒ったりしちゃう。腹が立ったり、嫌なことを言ってしまったりしてしまう。
少し落ち込んで、次は言わないぞ!次はこんなこと言おう!って気楽に生きてくぞ。
深刻になっても、良いことなんかひとつもない。
ひとつの具体的なことは、そのままひとつの具体的な行動として扱いたい。
前もそうだった、あれも結局はここにつながるんだ、と、どんどん引き合いに出してつなげてさらに自分のよくないところをどんどん大きな問題にしていく。そして落ち込むスパイラルはしんどい。やめたいよ。
朝のコーヒー屋さんにて。
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わたしは博愛主義的なところがあって、それは八方美人とも言われる。優しいからじゃなくて自分に自信がないからだと思ってたけれど、最近こどもの頃大好きだった児童書『みどりのゆび』と図書館で再会して、そもそもわたしは優しい気持ちを持ってる人に憧れがあるんだ。
優しいだけじゃ結局自分が傷ついたり身体が持たないことが大人になって分かったけれど、根本的に優しくありたいのは悪くないし、それがわたしなんだわ。
こどもらしいとか大人になりきれてないとかあるかもだけど。
仕方ない。変われない根幹的なところなんだ。
それはこどものころから、おばあちゃんとお寺に通っていて、お互い様やお陰様の精神が深く刻み込まれてるからだと思う。それは、おばあちゃんのいつも人のために動いてる姿に憧れとかすごいなとか思ってたからだと思う。
自分を守るために相手を攻撃したり、困ってる姿を見てみぬふりするのは、わたしの生き方にそわないんだとおもう。
愛想笑いをする自分は弱いんだと思ってたところあるけど、人からつけこまれないように、ぞんざいに扱われないようにと目を鋭く声を低く淡々と話す自分が自分らしいかと言われたら、やっぱりしんどい。
相手を守るために自分をなげやりにするのもちがう。
でも、中学生の頃、雨にも負けずの詩を読んで、深く意味も分からずともものすごく胸が熱くなったことが強烈な体験として覚えている。やっぱりわたしはこういう人になりたいんだ。無理だとしても。馬鹿正直と笑われても、ひとからぞんざいに扱われても。
わたしには信仰がある。あたたかい心がある。神様がみていてくれたら、それでいい。それで満足する人になりたい。
満足する人になるんだ。
夫からどう思われるか、母親からどう思われるか、そんなことは無理だ。人からの評価は思い通りにならない。
損とか得とかなんてどうでもいい些細なことだ。
わたしは、自分の大切にしたい心を大切に守ればいいんだ。
人からぞんざいに扱われたら悲しくなるけど、そのたびに落ち込めばいいんだ。心身をすり減らせばいいんだ。
でも、自分の大切な家族に機嫌良くいられる分は残しておくんだ。わたしの1番大切なのは家族だから。
本当に、本当にささいな余裕しかいつも残ってないよ。家族にも優しくできなくてイライラしてしまうよ。そしてまた自己嫌悪。
わたしのことを粗末に扱うのなら、放っておけばいい。でも、助けを求めてきたら助けたい。今はみんな気軽に助けてがいえない。わたしも言えない。だからつい、おせっかいをしてしまう。
セーブするくらいがこの時代にはちょうどいいのかも。
わたしは人のことを見る目がない。誰でも信じてしまう。特に人当たりの良い、良いことばかり言う人を信用してしまう。アムウェイ的なことをいうひともいつも人当たりがいい人だった。口がうまい人だった。
困ってる人を助けたいと思えばつけこまれる。
困ってる人は助けてもらうことを望んでいない人もいる。おせっかいをすることで嫌がられることもある。
塩梅が難しいけど、ちょっとしたお節介は図々しくやっていきたい。
人から嫌われたり煙たがれることを引き受けずに、自分の好きな生き方はできない。
困ってる人を助けたければ、まず自分のことをちゃんとしろともいわれる。いつも機嫌よくいたい。まずは。まずは。
ルーティンを大切にしよう。不安や心配なこたにとらわれすぎないようにしよう。いつもゆるませ、目の前のことに集中して没頭しよう。
夫には悪気はない。
じゃあ、伝えずに我慢するのかいいのかといわれたら、そらもちがう。
怒りの心が静まったそのとき、余計なことばわ取り除いて、おかしいと思うところをそのまま淡々と伝えること。
今日はママ友に「さぞ〜なんだろうね」というような皮肉を言ってしまった。
本当に思ったことだけをいえばいい。おもしろおかしくなんて、いいよ。
うまいこと言おうとしなくていい。
人を傷つけるくらいなら、面白くない人と思われたらいい。
うまいことを言おうとして、うまいことを思いつかなくて、沈黙が怖くて、焦って相手を嫌な思いをさせることを言ってしまう。
そんなことばかり。
自己嫌悪にはもう飽きたよ。ほとほと疲れたよ。ひどい自己嫌悪に陥ると、家族にも周りの人にもそもそも全然優しくできなくなる。
しょうがないよ、全部を完璧にできる人なんていないよ。
こうしたい、ああしたい、うまくできやかった、ごめんね、ありがとうね、やっぱりこうしたい。この繰り返しだ。
しょうがない。
人間だもん。怒ったりしちゃう。腹が立ったり、嫌なことを言ってしまったりしてしまう。
少し落ち込んで、次は言わないぞ!次はこんなこと言おう!って気楽に生きてくぞ。
深刻になっても、良いことなんかひとつもない。
ひとつの具体的なことは、そのままひとつの具体的な行動として扱いたい。
前もそうだった、あれも結局はここにつながるんだ、と、どんどん引き合いに出してつなげてさらに自分のよくないところをどんどん大きな問題にしていく。そして落ち込むスパイラルはしんどい。やめたいよ。
朝のコーヒー屋さんにて。
記録を残すこと
息子がスイミングに行ってる間に書いてます。
久しぶりにログインしました。
文章を最近書いてないな。昔の文章を久しぶりに読み返してみたら、ああいいなと思えた。
自分の気持ちを文字に起こした瞬間から、それはすでに自分の気持ちではないような感覚になることがいやで、ぜんぶ違う人が書いたような気持ちになるのがいやで、ブログから離れてたことも思い出した。
最近読んだ本の『往復書簡 ひとりになること 花をおくるよ』の滝口悠生さんが同じようなことを書いていらっしゃって、でもそんな気持ちになりながらも、うんうん考えながら、もがきながら書くことでしか書くことはできないというようなことを読んでから、また悩みながら書いてみたいなという気持ちになっていたのかも。
そんな難しく考えなくてええんや。こんな気持ちもあるしあんな気持ちもある。さっきこう思ったけど、次の瞬間にはああ思った。おもろい。それでいいんや。
あと、書かなくなったことのひとつに、記録することへのこわさというか、簡単に残せることでそのあたりのふわっとした多層な記憶がそれだけの記憶にすり替わってしまうような、そういういやらしさを感じてしまったんだと思う。
文章もだけど写真なんか特にそう。
視覚的にがつんとこんなことありましたよ、と残すことで「それは事実です!」みたいな記録になってしまうことが嫌なんだと思う。
もっと人は記憶はおぼろげでいいんじゃないかなって。
息子が幼い頃の写真をたくさん記録しておかなきゃと思ってがむしゃらに撮ってたけど、それにはものすごいつらさや悲しみ、さみしさみたいなものがひっついていて、写真を見るたびにそういうものも思い出されちゃう。
おばあちゃんに子育てはどんな感じだった?とかいたら、たいへんすぎて全部忘れたわ!!というような返事が返ってきて。
ああ、今の人は記録しすぎかもなと思ってしまったんだな。残しすぎるのも、記録した人(わたし)にとっても記録された人(息子)にとっても、良い面ばかりじゃないかもなって。
知らないでいることとか、おぼろげであることの良さってあるなと思ったんだわ。
それでも、また記録してしまった。
いいんだ、たのしいから。
書くことは、たのしい。
それにしても、滝口悠生さんの文章がとても好きだった。他の本も読んでみたくなった。あと行動や思考回路がうちの夫に似すぎてびっくりした。
泣いたらええよ
息子3歳5ヶ月、なにかやりたいことがあるのにそれが叶えられないとき、やけになったり、すねたりする癖がある。あとうまくできないときもあまのじゃくなことを言う。
飲もうとしたお茶のコップを手をすべらせて少しこぼしてしまったら、「お茶もっとこぼす!!!こぼしたいんだ!!」といってコップの中に残ってたお茶をテーブルにジャーッと流してしまう。口をへの字にして横を向く。なんなら怒ってる。涙を浮かべる。
息子に口内炎ができたから、大好きな酢の物はしみて痛いだろうと思って「今日はやめておこうね」といったら、うつろな目になって「酢の物、たべない。好きじゃない。嫌いなの!」
好きなものを嫌いだと言う姿をみるのは悲しい。あまのじゃくな態度。口をへの字にして、目が遠くを見ている。目が合わない。
わたしはこんなふうに声をかける。
「酢の物、食べたかったよね。息子くん、好きだもんね。食べられないのは悲しいよね。」「お茶、こぼれると悲しいよね…ママもよくこぼすと悲しくなる。残念だったね。」
でもだいたい息子の気持ちは収まらず、息子の苦しそうな状態が続く。前から、この状態をどう扱ったら息子はより楽になるんだろうと考えていた。息子は我慢している。何をそんなに我慢をしているのか。
そこで、この前Twitterで見かけたことを試してみた。「悲しいよね。悲しい時は泣いたらいいよ。えーんえんしたら、いいんだよ」と伝えてみた。
すると、一瞬口を開けてぽかんとしたあと、みるみるうちに顔がくちゃくちゃになって、おそるおそる泣き始めた。涙がぽろぼろこぼれるがまま、大きな声をだして息子が泣いた。ぱつんぱつんにふくらんだ風船が、はじけた瞬間を観察しているようだった。
ひとしきり泣いたら、息子はけろっとしてニコニコしながらごはんを食べ始めた。
息子がすねたりやけになったりするときは、悲しさをあらわにすること、つまり泣くことを我慢していたときにでる言動だったのかもしれない。
泣くことを、我慢してるんだ。3歳なのに。
お茶くらいうまく飲みたいのに飲めなかった自分、こうしなきゃいけないと分かってるのに分かってるのになんだかそうするのがつらい自分。そんな自分に苛立ったりすることは、わたしもある。
でもまだこんな小さな子どもが、自分の感情の処理に追いつけなくて、困っている。
自分の中で湧き上がってくる「悲しい」という感情を、あえて「怒り」に変えたり、押し殺そうとして処理するようになった。
これは成長だ。人間としての成長なんだろう。
でも、そうやってわたしたちはみんなどんどん自分の感情が分からなくなるんだ。
これから大きくなるにつれて「このレベルくらいできるようになりたい」「こうしなきゃいけない」がどんどん増えてくる。他にも他者との関わりでもっとややこしく悲しいことが増えてくる。そしてむしゃくしゃしたり落ち込んだりする。
自分で自分の感情を大事にできる人になってほしい。悲しくなることは、悪いことじゃないんだ。悲しさのエネルギーを、悲しいこととして涙をこぼすことは、とても健全だ。涙を流せる場所や空間を確保したい。
息子にとって、思い切り泣ける相手や場所は限られてきた。まだ3歳なのに、感情をあらわにできる場所はすでに限定されるようになってきたように感じるもの。わたし、夫、そして保育園のN先生の前。
息子にとって安心で安全な場所を確保することを大事にしたい。わがままを受け止め切れるか分からないし、こちらに余裕がなくて爆発することもしょっちゅうだけど。
強くたくましくあるには、安心できる場所が大切だ。
少なくとも家に帰ると、ほっとできるといいな。息子だけじゃなくて、夫にとってもわたしにとっても、家では安心して素直な感情を出せる場であるといいな。
ネガティブな気持ちに名前をつける③むすこ編
息子編
息子も、すぐパニックになりがちだった。幼い頃からかなり敏感な方で、掃除機の音がこわくて泣いた。何か不可解なもの(ルンバとか)があると泣いた。いつもとちがうものがあると泣いた。お風呂が怖くて泣いた。こわいものがたくさんあって怖くて泣いていた。でも2歳過ぎくらいになって、やっと自分の気持ちを話せるようになって、わたしのことばも通じるようになってから、いろんな怖がりがすこしずつ落ち着いてきたようにおもう。
「掃除機の音がすると大泣きで大パニック」「わーん!」「なにがこわいの?」「わーん」「そうじき?そうじきのおとがこわいの?」「わーん!そうじきこわい」「そうかそうか、ママ、抱っこする?」「だっこする!」「よしよし。どう?こわくなくなった?」「こわくなくなった」これを繰り返していると、そうじきの音がすると、
①「掃除機こわいよー!」と泣いて抱っこをせがんでくる。すぐ泣き止む
↓
②「掃除機こわい」と泣かずに駆け寄ってきて抱っこ。怖そうに掃除機を見つめる。
↓
③泣かずに駆け寄ってきて、「ママ手つないで?」といって「掃除機こわいねえ」という。
↓
④「あ、掃除機だ!」と言いながら遠くで掃除機をこわごわ見つめる
この流れをとって、さほど怖がらなくなった。親は子どものなにか嫌なものに対してどう処理するかをお手伝いできるといいんだと思った。ストレスに対する対処法が確立していれば、つまり「こわい」→Aをする→怖くなくなる」を覚えたら、ストレスに大してさほど恐怖を感じず、乗り越えられるようになるんだと思う。これが生きやすくなるひとつの道なんだと思う。「なんで怖いのよー!怖くないよ!」と声をかけたって、息子は怖いものは怖いのだからあまり意味がなかったな。まずは息子の怖いを受け止めてあげたい。そしてその対処法を一緒に考えたい。
わたしもネガティブな感情の処理が下手だ。だからもっぱら現在進行系で勉強中だ。幸か不幸か、息子は大の怖がりで、ネガティブな感情がたくさん出る。でも、だからこそいろんな息子の怖さに寄り添えるかもしれない。物心ついたときにはネガティブな感情の処理の仕方が自動的にできる人が息子の親であれば、「そんなもの怖くないでしょ!」「なにがそんなにこわいの!」「大丈夫だから。やりなさい」といってしまうかもしれない。
わたしは、自分のこの繊細さが、ちょっとだけ好きになれた。繊細なのがダメなわけじゃないと自分に言い聞かせていた。でも息子のためになれるかもしれない。だめなことばかりじゃないかもしれない。
本当にいいことだけを子供にしてやれない。正しいことばかり、子どもにしてやれない。いつも間違ったことばかりしてしまっているなと、悲しくなることもある。なんでこんな浅はかで未熟なのに子どもを生んでしまったんだろう。こんなに不安定な母でごめん。夫婦喧嘩をたくさんみせてごめん。と思う。でも夫婦喧嘩からの他人とのケンカからの仲直りの方法を伝えられるかもしれない。目の前の変えられない子どもにマイナスなことばかり目を向けていたくない。
これから、子どもと一緒に楽しいことをたくさん見つけて、その時間をたくさん共有することはできる。悲しい時間をすこしでも少なくして、もしくは寄り添って、一緒に立ち直る過程をとることはできる。それを大事にしたい。息子の世界から悲しいだけすべて取り除くことなんてできない。なら、一緒に立ち直る方法を一緒に探していきたい。
最近、待つことについてよく考える。
わたしは待つことが苦手だ。目の前の人や物がすぐに結果を出さないでいる状態が苦手だ。たとえば、息子は2歳過ぎあたりから高いところが苦手になった。すべり台の階段を登れなくなった。そしていつのまにか、以前までできていた家にあるジャングルジムの低い階段すら登れなくなった。
わたしは「怖くないよ!ほら!ママと一緒に登ろう!」と登らせることをゴールとして、息子を行動させた。でも「怖いから!」と息子は嫌がった。
わたしは諦めた。待ってみた。息子がまたいつか自然と登ってみたいなと思える日がくる日まで待ってみようかなと思って。
半年ほどたった。、家の小さなジャングルジムの階段のてっぺんに登って「ママ〜見てー!高いよー」と言うじゃないか。そのときの怖そうだけれども誇らしそうな息子の表情。なんて尊いんだろう。
急かさず、答えをすぐ出そうとせず、待ってあげたい。待つことの難しさと尊さ。待つことは、愛がないとできないかもしれない。親の大事な役割のひとつに「待つこと」があげられるとおもう。いまわたしは訓練している。
自分を待ってもらえるということは、あなたはそのままでいいんだよと受容してもらっていることにもなる。
急かさない。できるようになることを期待しない。でもいつかできるようになる日がくるといいねと前向きさを持っていたい。あなた自身がもつたくさんの可能性へ期待したい。
ポジティブな感情にもネガティブな感情にも寄り添ってあげたい。そしてどちらも息子の気持ちがどう動くかを、ただ待ちたい。
なかなか全部を実行するにはわたしにはかなり難しいのだけど。疲れちゃうのだけど。
でも、自分の家族を大事にしたい。みんなの悲しさや怒りや恐怖に寄り添い、楽しい嬉しいをたくさん共有したい。そんなたくましさがいつの日かわたしに自然と身につくといいな。
ネガティブな気持ちに名前をつける②夫編
この本を読んでから考えたことです。
①はわたし編、②が夫編。③が息子編です。まずは①から読んでもらえたらうれしいです。
ちゃんと泣ける子に育てよう 親には子どもの感情を育てる義務がある
- 作者: 大河原美以
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前にも書いたとおり、わたしはそのネガティブな感情の処理の仕方がへただ。
そして夫も、そんなにうまくないんだと思う。夫はなにか意に沿わないことがあると、ことばでわたしに伝えることなく不機嫌になる。なにか嫌だったの?ときいても「怒っていないよ」と不機嫌な顔でいう。そして、わたしも放っておけばいいのに、なにかあるなら言ってよなんて言ったもんなら夫はフリーズする。そして沈黙する。
だいたいこれがわたしたちの喧嘩のパターンのひとつ。
これは、たぶん夫になにか意に沿わないことが起こったときに、夫は自分の感情と向き合えていないのだと思う。そもそもどんな感情がわいてきて、それはどういう経緯があったからだと、わかっていないんだと思う。もしくはそんなことで怒る必要はないからと、自分のネガティブな感情を否定しているのだと思う。でも嫌な気持ちになっているから表情はゆがむ。それを指摘されると、混乱してなにもことばが出てこなくなり黙り込んでしまう。これが夫と幾度となく繰り返してきたケンカとその後の仲直りの過程で分かってきた流れ。
先日、上記の本を読んでから夫と同じような流れで口喧嘩になった。「なにか怒ってる?ずっと不機嫌でそばにいられると怖いよ」と伝えると、また夫が混乱して「怒っていないよ!ううう…不機嫌になってごめん!でも!でも!ちがう!・・・・ううう」と声を荒げながらことばが出てこなくなったので、わたしがペンとメモ帳を渡して、「わかったから。ちがうんだよね。とにかく自分の思いをなんでもいいから書いてみて。書きなぐってみてよ。ゆっくりでいいからひとりで自分の気持ちを浮かんできた気持ちを書いてみて」と伝えたところ、すこし時間が立ってから冷静にこんなことを伝えてくれた「謝りたくなかった!だって俺は不機嫌じゃなかった。○○(わたし)に対して不満はないもん。ただ眠かったんだと思う。だから表情がぼーっとしてて、動作も荒くてことばもぶっきらぼうになってしまって、それが不機嫌に見えたんだと思う。でも不機嫌でいられると怖いといわれると、怖いおもいをさせたから謝らなきゃいけないでしょ。だから謝ろうとするんだけど謝りたくないの!だって俺は悪くないもの。子どもの寝かしつけしてたら眠くなっただけなんだから。俺だってがんばったから。だからさらに怒れてしまったの」と説明してくれた。とても嬉しかった。
不機嫌の理由を説明してもらえたら、わたしもさほど気にせずいられるし、わたしが理由で怒っていないのならその場を離れてもいい。(本当は夫がことばで不満をいってくるまではわたしも怒ってるのかな?と思う必要はない。でもそれは幼少期の親の接し方で誰かが不機嫌だと自分を責めてしまうやっかいな癖がある)
「謝りたくないなら謝らなくていいよ。眠かったら言動が荒くなるのもしょうがないよ。寝かしつけがんばってくれてありがとうね。でもね、となりにいる人はその理由がわからないから怖いんだよ。言動がぶっきらぼうになってしまった自分を見つめてほしいし、ぶっきらぼうになってしまっている自分は眠たいからと自分で認識して説明できるようになるといいよね。そのうえで、もしわたしが怖い思いをさせてしまって悪かったなと思ったら謝ったらいいよ。たぶん感情の整理には順番があるんだと思う。」と伝えた。
おそらく、「ごめんね」という気持ちは、「俺だって頑張ったよ。眠かったんだよ」の前にはこないんだと思う。自分の感情の受容には流れがある。複数の感情が同時に湧き上がって、しかもこうあるべき、こうありたい、が混在してくると、人間は混乱してしまってフリーズorパニックになってしまうんだろうな。
夫はわたしに「落ち込む必要はないよ「悲しむ必要ない」とやさしく声をかけてくれる。
でもたぶんそれは、夫が自分自身によくかけてることばなんだろうな。そうやって夫は今までの悲しさに耐えて来たんだと思う。夫のネガティブな感情に対する付き合い方をよく表している。
でも、わたしは夫がなにか仕事関係でモヤモヤを抱えていて、「それは悲しかったよね。いやだったよね」というと、ときどき涙ぐむときがある。みんながみんな、「~する必要がなくても~~してしまう」事があってもいいんだと思う。そう思ってしまうあなたを受け止めてあげたい。そう思ってしまう自分を受け入れてあげたい。そしてよしよししてあげたい。2歳のこどもにはしてあげられるけど、40歳の大人にそうしてくれる人はなかなかいない。
でもわたしはあなたの妻だ。生涯一緒に過ごすパートナーだ。40になろうとも80になろうとも、ひとりでうまく消化しきれないネガティブな感情の処理、一緒に付き合うよ。つらかったねって抱きしめてあげたい。認めて、それを包んであたためてあげたい。それがパートナーとしての役割なのかもなっておもう。
混乱した感情を因数分解したら、どの感情もとてもシンプルだ。ひとりでその作業ができないのなら、よければその作業を一緒に手伝うよ。
わたしも夫も、不完全でいびつな人間だなって思う。特にわたしは自立していない依存性のある人間だ。大人になりきれていない。そんな2人でも、日々に前向きさを持って生きていきたい。なんだかうまくいかないこともたくさんあるけど、まあなんとかなるよなって思いたい。自立しあって生きていけないけど、助け合いながら生きていきたいんです。
次は息子について考えてみた。
ネガティブな気持ちに名前をつける①わたし編
わたしが日常の些細なことで落ち込んでいると、夫はよくこんなことを言ってなぐさめてくれる。
「そんなこと、大したことないから落ち込む必要なんてないよ。大丈夫」
夫は悪気があって言ってるわけじゃなくて、本当にわたしを心配して、声をかけてくれている。
でも私はこの言葉によくひっかかる。わたしは悲しむ必要があって落ち込んでいるわけじゃない。「誰かにあんなこと言ってしまった」とか、今さら言ったってどうしようもないようなことで落ち込む必要はないことも、よく分かる。でも、「落ち込んでしまう」の。これは自分の力ではどうすることもできない。この気持ちや感情を適切な形で成仏させてあげないと、わたしはこれからも無理して笑ったり喜んだりしなきゃいけない。テレビ見たりしてこの嫌な気持ちが薄れることはあるけど、それでもまた思い出したときにどよんとつらくなるのなら、ちょっと向き合わなきゃいけないんだと思う。
「感情の処理」についてわたしはよく考える。人によって、些細なことが気になる人とそうじゃない人がいる。何がちがうんだろうってよく考えていた。(このあたりは加藤諦三が教えてくれたよ)
わたしはもちろん前者の気になる方だ。かなり気にする。これでも10代~20代前半よりはかなりいろんなことを流せるようになった。くよくよ思い悩まなくてもよくなった。でも、たぶん同年代の人と比べるとまだまだ敏感に落ち込むほうだし体調が悪かったりするとその敏感さはより鋭くなって、ずっとビクビクしてしまうことがある。
でも、夫にきいてもらってると、自分の感情と向き合うことができたり気付きがあったりしてそれが気にならなくなることが増えた。「ああ、わたしはなんとなくムカつく~って思っていたけど、怒りだけじゃなかったな。わたしの頑張りを認めてもらいたかったのに認めてもらえなくて『悲しかった』し『悔しかった』んだな」ってことに気づけると、今までのモヤモヤやずーんとした落ち込みがすーっと軽くなる現象を何度も経験してきた。起きた事象は変わらないのに不思議だなと思ってた。
つまり、それは自分の感情の認知が甘かったり、感情の認識が少しずれてたのかもしれない。たいしたことないと思っていたことが自分の中ではなにかの理由で大したことだった。嬉しいと思っていたことは実はちょっと嫌だった。ちゃんとわかっていなかった。でも、その気持ちにぴったりくるような名前をつけたり理由や説明を探してあげることで、その感情の高ぶりが落ち着いて、いやな記憶が元の場所へおさまる感覚があった。
その機序は、この本が教えてくれた。これは本当に本当に出会えてよかった本。
ちゃんと泣ける子に育てよう 親には子どもの感情を育てる義務がある
- 作者: 大河原美以
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2016/10/28
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大人でも、自分の感情に対してちゃんとまっすぐ捉えて認識してあげられる人って、どれだけいるんだろうか。
「こうありたい」「こうあるべき」感情で、自分の感情を無視したり、ないがしろにしたりしてしまう人が多いんじゃないかな。
見て見ぬふりするのはまだしも、ぜんぜん気づいていない人も少なからずいると思う。
たとえば、大事にしていたコップが割れた。「たったそれだけじゃないか。大したことないから大丈夫」と思おうとする。「落ち込んだって仕方ない」と言い聞かせる。「あれはさほど大事じゃなかった」と自分の大事にしていた気持ちから目を背ける。そしてなにか気分転換をして、自分のとてもシンプルな「悲しかった」という気持ちを見つめてあげない。そしてそれは、小さな小さなしこりとして、心の奥底へ残るんだと思う。その感情は小さくなっても消えないんだと思う。消えづらいんだと思う。「あれは大事にしてたやつだった。落としてしまって悲しい。なんで手をすべらせてしまったんだろう。自分が嫌になる。悔しい」。
そうやって自分のありのままの気持ちを見つめる時間が、自分のネガティブな感情を処理するのに大事な工程なんだと思う。そうやって適切な順序を通ることで、その痛みは徐々に自然と癒えていくのだと思う。
小さな取るに足りない些細なことに見えるようなことも、その人にとっては大きな意味のあることなのかもしれない。でも「普通の人間はこんなことで悲しまない。悲しむ必要ない」と思おうとして、なんとか乗り切ろうとすることって少なくないんじゃないかな。
自分のの心の動き、そのままに、流れるままに動くままを見つけてあげる余裕がないんだと思う。それに些細なことが気になってしまう人は、気になるがままに気にしてたら生活できないよ。
わたしは、子どもの頃に「ネガティブな感情」について向き合ったり言語化して納得がいく説明をしてもらう機会がなかったんだと思う。だからネガティブな感情との付き合い方が下手なんだろうな。まず、あるがままの感情を知って、その感情に適切なことばをかけてやる。「悲しかったよね。認めてもらいたかったよね。だってあんなにがんばったもんね。今度折を見て、その頑張ったことを伝えてみようね」とか。そのときに「認めてもらえなくても当然だよ!仕事だもん!各々が粛々と仕事するだけなのに認めてほしいなんて幼稚なことで思い悩むんじゃない」と自分のありのままの感情を否定すると、またその感情が成仏せずぐるぐる思い悩む。もしくは忘れてしまうけれど、しこりとなって心のどこかに残る。
ネガティブな気持ちを成仏させる作業を、幼い頃に近くの大人がその役割をできると、子どもは自分のネガティブな感情への対処がひとりでも上手になり、次にそういった感情になったとしても前ほど落ち込まずにその感情を受け入れるようになれる。そして、いろんなことが気にならなくなって、些細なことにでも落ち込まずに生活できるようになる。そうやっていろんな段階を踏んで大人になっても、大人の社会のいろんなことをうまく流しながら生活できるくらいの鈍感さとか図太さを身に着けていくんだろう。ストレスに適応していくんだろう。
わたしは「ちゃんと泣ける子どもに育てよう」という本からそう理解した。
おとなになると、いろんな役割がいつのまにか望まずにも与えられる。社会人、妻、母、正社員、パートスタッフ、となりの奥さん。
そうすると、いろんな行動や対応が求められ、求められるものがどんどん複雑で高度なものになっていく。それがうまくいかないと、ネガティブな感情が生まれやすい。そうするとどんどん生きづらさを抱える。大人になるにつれてどんどん生きづらさが大きくなる人は、日々の些細なネガティブな感情の処理の仕方が下手で、どんどんと処理しきれないネガティブな感情が積もっていき、耐えきれなくなって爆発したり大きな落ち込みになったり、その果てには鬱になったりするのかもしれない。生きづらさをなんとかするためには、ネガティブな気持ちの処理の仕方を会得するのがひとつの鍵なんだと思う。
わたしはまだ、不慣れ。勉強中。すぐつまずく。でもやっとスタートラインにたてた。
今まではすぐ夫をつかまえて、この作業をやってもらっていた。でもそれはかなり負担をかけていた。わたしに思うような反応がないと怒ったり悲しんだりしてた。でも、ひとりでできるところまではひとりでやろう。この気持ちはわたしのものだ。わたししか知らない。わたしだけが知っている。そして向き合うのにひとりでつまずいたら、夫に協力してもらおう。
ネガティブな気持ちとうまくつきあえるようになれたら、もうすこしこの生きづらさが和らぐのかもしれない。ひとつの解決策が見えた気がした。それはわたしにとって大きな希望。
時間がかかるけど、がんばってみる。
そして、夫、息子のことも考えた。次につづきます。
羊と鋼の森の映画の感想
羊と鋼の森の映画をみた。
自分なりのメモ。
・よかった
・最近思うのが、映画ってストーリーの展開だけが面白みじゃなくて、そのシーンの雰囲気や自分の心の動きや感覚を楽しむ要素があるんだな。ストーリー展開には観客を引き込む力がすごく大事で勢いとかテンポみたいなのに左右される。スローでのんびりなタイプの映画は先述した楽しみ方をするんだなと、みてる最中に思った。
・そう、だからこの映画にすごくストーリーがあるわけじゃない。
・いろんなことが不安で自信がない高校生の青年がだんだんとこれをやってみたいと思えることに出会い、それに対してひたむきに向き合いながらやっぱり自分はダメだとか落ち込んだりしながらも、しだいに自分のやってることに肯定感(これでいいんだ)をもてるようになり、意志を持ちはじめる。自分のこうなりたいっていう道筋を見つけ、そこに焦点があいはじめる。そんなストーリーでした。
映画をみて書き残したいなと思ったこと、下記の3点。
・無意識に自分を癒やしてたことに気付けた
少年期にはピアノのコンクールで賞を取るくらいの腕前の青年が今は引きこもりになってしまい、その少年がまたピアノを弾くことで生きたいと思う力みたいなものをとりもどすようなシーンがあるのだけど、そのシーンにとてもわたしは惹かれた。よかった。小学生くらいの自分がひたすらにピアノを弾いていた光景が急に思い出された。
わたしは当時、実家や学校がとてもつらくてつらくて、なにもしたくなくてなにも考えたくなくて、帰宅したら両親が帰ってきて怒られるまでピアノを弾いてた時期があった。姉にピアノうるせえと怒鳴られるから姉のいない時間帯を盗んでとか、音を小さくしてとか、とにかく弾いてた。下手っぴなのに。時々その下手さ具合にイライラするのに。
あれは今思えば自分へのなぐさめだったんだな。いろんなことが自分でどうにもならなくて歯がゆくてつらかったのだけど、ピアノを弾いてるとその時間だけ何も考えなくてすんだ。自分で納得のいくいい音が弾けると気持ちよかった。「わたしはなんであんなに今はぜんぜん弾けないピアノをやってたんだろう、たいしてうまくないのに、もっと意味あることしたらよかった」とか思ってたこともあったのだけど、あれは何か将来のためにやってたんじゃない。あのとき、あの瞬間の自分をなぐさめ、癒やしてたんだと思う。とても意味があることだったんだなあと思った。それに気付けたのがわたしにとって意味あることだった。
・コツコツやるということ
まだ専門学校を卒業したての青年が、あこがれの上司に対してどうしたらもっと一人前になるんですかときいたらコツコツ仕事をやりましょう、みたいな返答があったのだけど、コツコツってどうしたらいいんだって青年が悩むシーンがあった。わかる。わたしもひたすらコツコツってどうやるんだ、とにかく頑張ります!精進します!とか昔からずっと言ってた。今思えば頑張んなくてよかったんだと思う。コツコツ続けるのと頑張ることは対照的。過剰な気張りがうまくいかなくさせることが、よくあった。肩の力を抜いて、目の前のことを淡々とこなしていくことがだいじなんだと思った。そしたらいつのまにか残るものがあり、拓けてくるものがある。こっちの方面がおもしろそうだなとか、あっちの方が自分の性に合うなとかがみえてきたりする。それを大事にしたらいいんだと思う。自分が若いと、頑張ることへの焦点が遠すぎたり近すぎたりしてしまう。そのバランスが今でも難しい。
・みんなが「自分にマッチしたいい仕事」に出会えたらな
自分はこれをやりたい!大変だけど楽しい!いつかこうなりたい!と熱量や意志をもてる仕事につけたら、それってその人の日々や人生がすごく楽しいことになると思うんだ。仕事は人生の半分の時間を過ごしてるから。いい仕事につけたら、それだけで人生単位で幸せなことなんだと思う。生きてる実感がもてると思う。
ツイッターを見てると、少なくない人が仕事がとても嫌だと言っている。わたしの父も母も姉も苦しそうに仕事をしていた。そもそも仕事とは、お金を稼ぐためにイヤイヤ働かなきゃなのかな。嫌なことを毎日やるのって、それはとても苦だよなあ。
わたしの場合、産後はずっと育児だけで周りの保育園がいっぱいで認可外保育所しかあいてなくて保育料分も稼げるのか分からなかったけどわたしは働きたかった。つまりそれは、仕事に対してお金以上の価値を見出したことだと思うの。子どもと離れる時間ということ、ひとりで何かに没頭すること、だれか自分たちと価値観や文化の違う他人と定期的に話すこと。
なにかの本でも見かけたけれど、人は元来は働きたい欲を持ってるものなんだと思う。みんなが自分で気に入った仕事につけたら、それだけでみんなのイライラが減るんだと思う。もっと周りの雰囲気が平和なものになるんだと思う。
この映画の青年は、仕事に対して最初はどうしたらいいかわからないし自分は才能も知識もないしと、うだうだもがいてるときがあったけど、この人を支えたいこの人が気持ちよくピアノをひけるようにこうありたい、と考えたときにぐっと顔が引き締まった瞬間があったのだけど、そういうのがあるととても素敵。道を見据えられた感じがとてもよかった。
これで映画の感想はおわり。
久しぶりに映画の感想を書いたけど、なかなか自分で納得のいく文章が書けなかった。自分の心の動きや考えたことをうまく自分の言葉で言い表せなかった。
そんなときに、大学で受けたある出版社の編集者の人の講義について思い出した。あれはとてもよかった。
自分の文章に赤を入れてくれるのだけど、その直しがなんだかわたしの気を楽にしてくれた。直すというより、より自分のことばで伝えてね的な感じ。感動とかのワードは思考停止だよと教えてくれた。何がどういう風に心を打たれたのか。いいことを書こうとしなくていい。自分の思考や感情によりそってあげることなんだ。だからものを書くのは自分の癒やしになる。
わたしはすぐ音読みの熟語を使いたがるのだけど、展開した方が読みやすいし自分の言わんとすることにあてはまる。別に難しくなくていいし長くなってもいい。簡単なことをより具体的に。そこの遠近感がだいじ。近づいて近づいて、そして遠のいて全体像をみる。面白くない文章はずっと同じ遠近感で書く。抽象的すぎても面白くないし、具体的すぎても何が言いたいのかわからない。
また上記のことを意識しながら文章を書く時間がとれたらいいな。
昔はピアノやバレーをすることがわたしの癒やしだった。癒やしの方法をたくさん増やしたい。いまは文章を書くことは、自分の言いたいことをうまく書き表せなくてモヤモヤしてしまうことの方が多いのだけど、いつかはわたしの癒やしの方法のひとつになるといいな。
ゆるりとした年末年始でした
去年は矢のように一瞬で過ぎた。わたしの29年の人生の中でも、特に慌ただしく変化の多い1年だった。
夫の転職活動、新居への引っ越し、そこで保育園の空きが見つかり急きょ息子を保育園入園させる、わたしの就職活動と資格勉強、夫の退職&有給消化&転職、わたしは新しい業界での就職が決まり仕事スタート、息子たび重なる発熱、一家3人で肺炎、わたしは肺炎をこじらせて1ヶ月半の休職、家族3人で初の旅行、認可保育園入園申し込みとそれにまつわることで雇用主との交渉、カーシェア利用、息子を年末保育、わたしのメニエール病再発などなど。
特に前半はどかんと大きめの変化が続き、こんなことがあるのかと。
週2〜3回の頻度で整体に通っていたのでお金もとんでくし、あわただしかった。
始めた仕事はわたしに合っているかといわれると疑問だけど、それでも社会人としての再スタートをしっかり踏め出せたと思う。仕事をしてみないと自分には何が向いているか、苦手とするかわからないことも分かった。パートとしてだけどしっかりと裁量を持たせてもらいながら色んな方面の仕事をさせてもらっている。働く前よりも日々の風景にさらに色が増したかんじ。たのしい。
でもやっぱり体力が足りない。時間が足りない。育児と仕事と家事のバランスが難しい。どれくらい気持ちや労力を注力していいのか、そのバランスをはかっていくのに悩んだ。そのこともあって夫とはたくさんケンカをした。今までで一番たくさんひどめのケンカ。息子から「ママ、パパとけんかしちゃった?えーんえーんしちゃったね」などどいわれる始末。自己嫌悪によくおそわれた。死にたさも幾度となく襲ってきた。でも夫もかなり変わってくれた。家事を自ら気づいて率先して動いてくれるようになった。ぼーっとしてるところは彼の短所でもあり長所でもあることがちゃんと分かった。お互いの苦手なところ、得意なところ、やっと各々で認識してそれがうまくまわり始めてる感じ。歩み寄りと諦め(いい意味で)。相手のすべてを受け入れて、仕方ないかと相手も自分も許せる余裕を持っていたい。もう「恋」の愛情は残っていない。残ったのは「戦友」のような深い愛。そういう意味で、わたしにはもう夫以上に濃厚な家族としての絆を感じられる相手はいない。代わりにならない唯一無二の存在。
そして息子は、人間ってこんなに急に話せるようになるのか?というほど猛スピードでめきめきとことばを覚え、文章を覚えて、言語を獲得していった。毎日たのしみがあった。特に2歳2ヶ月頃〜2歳6ヶ月(現在進行中)は、目を見張った。目を丸くしてしまうくらい驚くことを言ってくる。育児記録が追いつかない。どんどん可愛さが増す。こんなに可愛くていいの?ととびきりの爆発的なかわいさに、もう愛情のバロメーターがぶっこわれている。
メニエール病になって耳の聞こえが悪くなったとき、解放されたと思った自分がいて驚いたしおもしろかった。息子の夜泣きや夫のイライラする小さな声に対して、もうわたしは聞こうとしなくていいんだって思った。だってうまく聞こえないから。聞こえないから聞かなくていいんだって肩の力が抜けた感覚があった。病気は悪じゃない。それはとても平面的な見方だと思った。そういう気づきがあった。もっとわたしは、聞きたくないことは聞かなくていいし、まじめに向き合うばかりじゃなく逃げたりとぼけたり怒ったりして自分に素直にいてあげなきゃと思った。
クリスマスは夫がスーパーで買ってきた2種類のローストチキンをたべた。息子も美味しそうに食いちぎって咀嚼していた。おせちは作らなかった。去年撮り忘れた2355 0655の年越しスペシャルも録画して1月2日にみんなで観た。クリスマスプレゼントの黄色いバランスバイクを息子は嬉しそうにまたがってゆっくりそろそろと歩き回っている。新居のリビングに絨毯を買ってからみんなリビングでごろごろ寝そべってだらだらを謳歌している。平和だ。平和なのが一番だわ。
息子も野菜をちょっとずつ食べてくれるようになって、やっと家族3人で同じものが食べられるようになってきた。大変だったご飯の支度にも慣れてきた。ひとり遊びできる時間も増えた。あんなに臆病な息子が保育園のクリスマス会で大勢の保護者がいても泣かずにニコニコとあわてんぼうのサンタクローに合わせてマラカスをふることができた。息子の成長でいつのまにか楽になってることが多い。たいていのことは時間が解決してくれる。自分の力ではどうしようもないことにあらがわずに、がむしゃらに食いしばって頑張らずに、まあいっか、いつかはなんとかなるね、という気構えでいたい。そんなゆるさをもって2019年も生きていきたいです。
ウチとソトの線引き
わたしが気管支炎をこじらせ肺炎になり、文字通り倒れてしまったときの話。
そこへやっぱり気管支炎をこじらせた2歳息子の面倒や通院、保育園送迎、わたしの病院の付き添いなどで夫も手一杯、生活が立ち回らなくなってしまった。核家族は本当にもろい。そこで夫の両親にヘルプを頼むとすぐにかけつけてくれた。
義父母に家事全般をしていただいたおかげで自宅作業をしていた夫もやっと出勤できるようになり、息子もよく義父母になついたのでわたしは養生に専念でき、とても助かった。本当に涙がでるほど安心した。これでうちの家族はやっと回復にむかえるぞと心底ほっとした。
ただ、義母がわたしのやることひとつひとつに口を出してくることがつらかった。とてもいやだった。息子の熱をはかりすぎ、神経質すぎ、もっと息子に薄着させろ、クーラーつけるな、寝かせようとするな勝手に眠くなったら寝るから(うちの息子は自分から寝ようとしない)、ちゃんと日頃から夫に朝ごはんをつくってやってるのかなど。
わたしは干渉されすぎると強いストレスを持つ。うまく聞き流せなくなって自分の行動に自信が持てなくなってくる。だから、とても感謝しているのだけど、それとはまた別の軸で耐えられない苦しさも感じていた。
わたしがいくら義母に「うちはいつもこんなふうにやっているので」とか「小児科の先生はこういっていたので」と説明しても素直にききいれてもらえないどころか角が立つような感じで、問題は解決しない。
こういう、「他人の家庭にどこまで口を出すか」「口を出されることにどう対処するか」問題ってよくあると思う。
どうしたらいいのだろうと悩みに悩んだ。夫に相談したんだけど、「俺が義母から守るよ!」とか見当違いのことをいわれて、なんかちがうんだよなあと思う。わたしは義母を敵認定しているわけじゃない。
で、わたしが夫にお願いしたことが「わたしのためにもをまずは義父母を気遣って」だった。
夫は義母の前では「息子」になる。息子に「もどる」というべきか。本人にはその自覚はまったくないのだけど、わたしは前からそれが苦手だった。
夫は自分の両親に対して感謝の念をあまり伝えないし、あまり話そうともしない。質問されても携帯いじったりしてる。そういう態度は、相手に甘えてるんだとわたしは思う。甘えていることに無自覚。相手に「もう、しょうがないなあ〜」と思わせるということは、失礼を許してもらってるんだと思う。
今回もせっかく急に義父母が遠いところから文句一つ言わずにせっせとヘルプしてくれているのに、夫の関心はわたしと息子。仕事から帰宅後、義父母への感謝のことばはゼロですぐに息子とあそびはじめ、わたしに「体調大丈夫だった〜?」ときいてくる。確かに優しいしありがたいのだけど、今のわたしにはそれが重く感じた。幼い行動に感じた。
だから義父母が夫のことを「まだまだ頼りないわたしの息子」と思ってしまって、自分の息子やその妻に対して干渉してしまう心理があるのかもしれない。わかんないけど。
わたしは夫に、自分の母親に対して線引きをしてほしいと伝えた。。誰が「ウチ」で誰が「ソト」なのか。義母に甘えているうちは夫にとっても義父母にとっても「ウチ」が「義父母、夫」なんだよ。夫の「ウチ」は「俺と妻と息子」、ソトが「義父母」であることを夫がちゃんと態度で示すことが大事なんじゃないか。ここからは入ってこないで、あなたたちとわたしたちはちがう家族だから、と。
それをあらわす一番わかりやすい態度は、ちゃんと夫が義父母を「気遣う」ことなんだと思う。息子にもどらずに、対等な大人として接すること。それは感謝をことばで伝えたり、自分の考えをちゃんと説明したりすること。「今日も妻と息子の世話をしてくれてありがとう」「夕飯おいしいね」「買い出しのお金を払ってくれたんだね」「◯◯日までいてもらえるとありがたいな、予定はどう?」など。そういう気遣い。
そういった態度が、義父母から「息子(夫)はもうしっかりしてるな。もう子どもじゃないな。自分で考えて行動できるんだな」という信頼を得られるのだろうし、「息子はもうあの頃の子どもじゃない、今は支えるべき妻と子がいるんだな」という子離れの一端の考えにいたるかもしれない。そしてそれが結果的に夫がわたしを義父母から守ることになるんだと思う。
夫にこれを実践してもらったら、わたしに対して急に義父母が口を出さなくなった。本当に。むしろ夫に口を出すようにシフトしたのかも。義母も夫に言っても仕方のない部分をわたしに言っていたのかもしれないな。
妻を守るためにはまず夫が自分の母との線引きをきっちりするところが大事だったのかもしれない。そしてそれは義母にとってはすこし寂しいことなのかもな。わたしも息子2歳がわがままを言わなくなって自分の奥さんをだいじにしながらわたしに感謝をいうようになったらすこし寂しさを感じてしまうかもなと思った。