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  • 泣いたらええよ

    息子3歳5ヶ月、なにかやりたいことがあるのにそれが叶えられないとき、やけになったり、すねたりする癖がある。あとうまくできないときもあまのじゃくなことを言う。

    飲もうとしたお茶のコップを手をすべらせて少しこぼしてしまったら、「お茶もっとこぼす!!!こぼしたいんだ!!」といってコップの中に残ってたお茶をテーブルにジャーッと流してしまう。口をへの字にして横を向く。なんなら怒ってる。涙を浮かべる。

    息子に口内炎ができたから、大好きな酢の物はしみて痛いだろうと思って「今日はやめておこうね」といったら、うつろな目になって「酢の物、たべない。好きじゃない。嫌いなの!」

    好きなものを嫌いだと言う姿をみるのは悲しい。あまのじゃくな態度。口をへの字にして、目が遠くを見ている。目が合わない。

    わたしはこんなふうに声をかける。

    「酢の物、食べたかったよね。息子くん、好きだもんね。食べられないのは悲しいよね。」「お茶、こぼれると悲しいよね…ママもよくこぼすと悲しくなる。残念だったね。」

    でもだいたい息子の気持ちは収まらず、息子の苦しそうな状態が続く。前から、この状態をどう扱ったら息子はより楽になるんだろうと考えていた。息子は我慢している。何をそんなに我慢をしているのか。

    そこで、この前Twitterで見かけたことを試してみた。「悲しいよね。悲しい時は泣いたらいいよ。えーんえんしたら、いいんだよ」と伝えてみた。

    すると、一瞬口を開けてぽかんとしたあと、みるみるうちに顔がくちゃくちゃになって、おそるおそる泣き始めた。涙がぽろぼろこぼれるがまま、大きな声をだして息子が泣いた。ぱつんぱつんにふくらんだ風船が、はじけた瞬間を観察しているようだった。

    ひとしきり泣いたら、息子はけろっとしてニコニコしながらごはんを食べ始めた。


    息子がすねたりやけになったりするときは、悲しさをあらわにすること、つまり泣くことを我慢していたときにでる言動だったのかもしれない。

    泣くことを、我慢してるんだ。3歳なのに。

    お茶くらいうまく飲みたいのに飲めなかった自分、こうしなきゃいけないと分かってるのに分かってるのになんだかそうするのがつらい自分。そんな自分に苛立ったりすることは、わたしもある。

    でもまだこんな小さな子どもが、自分の感情の処理に追いつけなくて、困っている。

    自分の中で湧き上がってくる「悲しい」という感情を、あえて「怒り」に変えたり、押し殺そうとして処理するようになった。

    これは成長だ。人間としての成長なんだろう。

    でも、そうやってわたしたちはみんなどんどん自分の感情が分からなくなるんだ。

    これから大きくなるにつれて「このレベルくらいできるようになりたい」「こうしなきゃいけない」がどんどん増えてくる。他にも他者との関わりでもっとややこしく悲しいことが増えてくる。そしてむしゃくしゃしたり落ち込んだりする。


    自分で自分の感情を大事にできる人になってほしい。悲しくなることは、悪いことじゃないんだ。悲しさのエネルギーを、悲しいこととして涙をこぼすことは、とても健全だ。涙を流せる場所や空間を確保したい。


    息子にとって、思い切り泣ける相手や場所は限られてきた。まだ3歳なのに、感情をあらわにできる場所はすでに限定されるようになってきたように感じるもの。わたし、夫、そして保育園のN先生の前。


    息子にとって安心で安全な場所を確保することを大事にしたい。わがままを受け止め切れるか分からないし、こちらに余裕がなくて爆発することもしょっちゅうだけど。


    強くたくましくあるには、安心できる場所が大切だ。

    少なくとも家に帰ると、ほっとできるといいな。息子だけじゃなくて、夫にとってもわたしにとっても、家では安心して素直な感情を出せる場であるといいな。