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  • ネガティブな気持ちに名前をつける③むすこ編

    息子編

    息子も、すぐパニックになりがちだった。幼い頃からかなり敏感な方で、掃除機の音がこわくて泣いた。何か不可解なもの(ルンバとか)があると泣いた。いつもとちがうものがあると泣いた。お風呂が怖くて泣いた。こわいものがたくさんあって怖くて泣いていた。でも2歳過ぎくらいになって、やっと自分の気持ちを話せるようになって、わたしのことばも通じるようになってから、いろんな怖がりがすこしずつ落ち着いてきたようにおもう。

    「掃除機の音がすると大泣きで大パニック」「わーん!」「なにがこわいの?」「わーん」「そうじき?そうじきのおとがこわいの?」「わーん!そうじきこわい」「そうかそうか、ママ、抱っこする?」「だっこする!」「よしよし。どう?こわくなくなった?」「こわくなくなった」これを繰り返していると、そうじきの音がすると、

    ①「掃除機こわいよー!」と泣いて抱っこをせがんでくる。すぐ泣き止む

    ②「掃除機こわい」と泣かずに駆け寄ってきて抱っこ。怖そうに掃除機を見つめる。

    ③泣かずに駆け寄ってきて、「ママ手つないで?」といって「掃除機こわいねえ」という。

    ④「あ、掃除機だ!」と言いながら遠くで掃除機をこわごわ見つめる

     

    この流れをとって、さほど怖がらなくなった。親は子どものなにか嫌なものに対してどう処理するかをお手伝いできるといいんだと思った。ストレスに対する対処法が確立していれば、つまり「こわい」→Aをする→怖くなくなる」を覚えたら、ストレスに大してさほど恐怖を感じず、乗り越えられるようになるんだと思う。これが生きやすくなるひとつの道なんだと思う。「なんで怖いのよー!怖くないよ!」と声をかけたって、息子は怖いものは怖いのだからあまり意味がなかったな。まずは息子の怖いを受け止めてあげたい。そしてその対処法を一緒に考えたい。


    わたしもネガティブな感情の処理が下手だ。だからもっぱら現在進行系で勉強中だ。幸か不幸か、息子は大の怖がりで、ネガティブな感情がたくさん出る。でも、だからこそいろんな息子の怖さに寄り添えるかもしれない。物心ついたときにはネガティブな感情の処理の仕方が自動的にできる人が息子の親であれば、「そんなもの怖くないでしょ!」「なにがそんなにこわいの!」「大丈夫だから。やりなさい」といってしまうかもしれない。

    わたしは、自分のこの繊細さが、ちょっとだけ好きになれた。繊細なのがダメなわけじゃないと自分に言い聞かせていた。でも息子のためになれるかもしれない。だめなことばかりじゃないかもしれない。


    本当にいいことだけを子供にしてやれない。正しいことばかり、子どもにしてやれない。いつも間違ったことばかりしてしまっているなと、悲しくなることもある。なんでこんな浅はかで未熟なのに子どもを生んでしまったんだろう。こんなに不安定な母でごめん。夫婦喧嘩をたくさんみせてごめん。と思う。でも夫婦喧嘩からの他人とのケンカからの仲直りの方法を伝えられるかもしれない。目の前の変えられない子どもにマイナスなことばかり目を向けていたくない。


    これから、子どもと一緒に楽しいことをたくさん見つけて、その時間をたくさん共有することはできる。悲しい時間をすこしでも少なくして、もしくは寄り添って、一緒に立ち直る過程をとることはできる。それを大事にしたい。息子の世界から悲しいだけすべて取り除くことなんてできない。なら、一緒に立ち直る方法を一緒に探していきたい。

     

    最近、待つことについてよく考える。

    わたしは待つことが苦手だ。目の前の人や物がすぐに結果を出さないでいる状態が苦手だ。たとえば、息子は2歳過ぎあたりから高いところが苦手になった。すべり台の階段を登れなくなった。そしていつのまにか、以前までできていた家にあるジャングルジムの低い階段すら登れなくなった。

    わたしは「怖くないよ!ほら!ママと一緒に登ろう!」と登らせることをゴールとして、息子を行動させた。でも「怖いから!」と息子は嫌がった。

    わたしは諦めた。待ってみた。息子がまたいつか自然と登ってみたいなと思える日がくる日まで待ってみようかなと思って。

    半年ほどたった。、家の小さなジャングルジムの階段のてっぺんに登って「ママ〜見てー!高いよー」と言うじゃないか。そのときの怖そうだけれども誇らしそうな息子の表情。なんて尊いんだろう。

    急かさず、答えをすぐ出そうとせず、待ってあげたい。待つことの難しさと尊さ。待つことは、愛がないとできないかもしれない。親の大事な役割のひとつに「待つこと」があげられるとおもう。いまわたしは訓練している。

    自分を待ってもらえるということは、あなたはそのままでいいんだよと受容してもらっていることにもなる。

    急かさない。できるようになることを期待しない。でもいつかできるようになる日がくるといいねと前向きさを持っていたい。あなた自身がもつたくさんの可能性へ期待したい。

     

    ポジティブな感情にもネガティブな感情にも寄り添ってあげたい。そしてどちらも息子の気持ちがどう動くかを、ただ待ちたい。

    なかなか全部を実行するにはわたしにはかなり難しいのだけど。疲れちゃうのだけど。

    でも、自分の家族を大事にしたい。みんなの悲しさや怒りや恐怖に寄り添い、楽しい嬉しいをたくさん共有したい。そんなたくましさがいつの日かわたしに自然と身につくといいな。