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  • まだできないのか、最初からできないのか

    今日はバレーの練習後に、飲み会へ誘われました。
    だけど、どうしても怖くて、誘ってくれた方々の気持ちを無下に断ってしまいました。
    かなり露骨に、かなりキツく、狼狽しながら断ってしまった。

    プレイ中やプレイの合間の会話なら、なんとか耐えられるんだけど、飲み会となると、途端にこわさが倍増する。なんでだろうか。

    大勢の中に行くと、頭がうるさくなってしまって、うまく働かなくなるからかな。そういう醜態を、新しく知り合った人に見せたくないからかな。

    昔からの友だちなら、人が多い場ではわたしがぐだぐだになって目が回ることを、もうすでに知ってるから、誘われたら半分くらいの頻度で参加できる。めっちゃ疲れるけど。

    でもな。やっぱりな。親しくない人ばかりのところへ参加することは、理屈抜きにこわい。そういう感情を優先させた方がいいだろうと思うから、今となってもその判断に悔いはないん。だけど、断り方ってのをちゃんと考えなきゃいけないな。

    それに、これから会社勤めをする時がきたなら、ふいに親しくない人たちから誘われる機会があるかもしれない。
    だから、がんばって参加したかったのに。参加できるようになりたかったんだけど。
    できなかった。

    まだできない自分が情けなくなる。
    まだだめなのか、と責めてしまう。

    もしかすると、「まだ」というより、「最初から」なのかもしれない。
    自分に期待しすぎなんだろか。

    はやく家に帰って、おいしいごはんをつくって、それをゆっくりたべたい。
    お腹すいた。

    銭湯で働きはじめたよ

    ここ数日、またうつのひどいのがきてた。
    帰省やバレーやなんやかんやがいかんかったかもしれん。
    でも、そのうつ野郎は昨日の朝、去りました。起きた瞬間に、「あれま!」と分かった。本当によかった!

    波があることをすぐ忘れる。調子こいてバンバン活動的なことすると、次に来るうつの波の深さが大きくなる。
    波はできるだけ、変動が少ないのがよい。
    大きな活動ごとは、徐々に増やさねばいかんなと、当たり前のことだけど、そう思いました。
    そう思った矢先に、アルバイトを始めました。今日から。ついに。アルバイト!!ぎゃあ。

    いろいろ迷った結果、近くの銭湯で働くことにしました。
    今日はまだ初日だったから、ずっと清掃してた。もくもくと。

    お盆だから人が多くて、なんぼ髪の毛とってもとってもすぐ溜まる。床を拭いても拭いても、濡れる。めげる。
    でも、そんな単純作業のが、いいなと思った。仕事量自体は結構多くて、水分とったりトイレに行く暇もないほどめまぐるしく動いてるんだけど、今のところたのしいなと思えてる。よかった。この感覚だいじ。男湯もたのしいし。

    それから、今日わたしの指導担当をしてくれたスタッフさんが、とてもよい方だったことが幸いだった。丁寧に教えてくれるし、処世術みたいことも教えてもらえた。チャーミングな方。
    スタッフさんにちょっと怖そうな重鎮おばちゃんがいるので、そこは少し不安だけど、がんばってみる。

    そういや、今日は恋人は仕事の休憩中にプールで泳いでたそうな。自由だな。
    こんな暑い日に泳いだら、さぞ気持ちいいだろうな。

    明日もわたしは、こんな暑い日に湯けむりの中を、汗だくで風呂掃除をします。汗だかホコリだかなんだか分からなくてベトベトするけど、働いてるんだなという感じが分かりやすくて、いいなと思う。
    オフィスワークより、性に合ってると思う。
    何時間働いて、何円もらえるっていうお給料方式も、分かりやすくていい。

    分かりやすいってすてき。

    お給料は少ないけど、すでにもらってしまったので、これで傷病手当金の受給はおわり。その手続きを進めます。
    もらえる額は、働いてるのに10万近く下がるのは大きな痛手。不安。

    でも、傷病手当金をいただくことは、どこかで後ろめたい気持ちがあった。そのお金に、使いづらさを感じてた。

    実際問題、これからどんどん金銭面的に余裕がなくなってきりきりまいになるんだろうけど、それとも向きあいます。向き合って、工夫して、無駄買いを減らしてかないかん。

    不労所得、なくなります。
    労働所得もらいます!

    我が子を持つことについてこじらせてる

    ごめんなさい、書きます。受け入れられないから書きなぐります。もしかしたら消すかもしれません。

    めいっこに会いたい。

    あんなにくたびれたのに。寝てくれたらほっとして、はあ、1人の時間がやっと持てたと思ったのに。泣き止んでくれない時は「くそ!」と思ったのに。

    でも、めいっこはわたしを呼んでくれた。泣いて、抱きついて、抱っこしたら笑ってくれた。本気で必要としてくれた。

    もちろんわたしじゃなくても、かまってくれる大人であればだれでもよかったんだと思う。だとしても、全力で求めてくれた。

    今はめいっこと遠く離れて、わたしは一人でいる。恋人と一緒に住んでいるけど、日中は一人だし、恋人と一緒にいても、あんなに「わたしだけをみて!」という独占欲をもった愛情は持たれない。気楽な仲です。

    それは、めいっこと10日間一緒に過ごす前の普段のわたしなら、居心地の良い距離だった。

    でも、もうその頃の自分には、戻れなくなったのかもしれない。あんなにもわたしを求めてくれためいっこ恋人を、比較してしまう。恋人でも誰でもいいから、もっと必要とされたい、見える形で示してほしいと思うようになってしまった。

    恋人と幼児であるめいっことは愛情表現がちがって当然なのに。愛情表現が物足りなくなった。全身で、ことばでも態度でも肌でも示してほしくなった。

    さみしくなった。「抱っこ!」としがみついてほしい。わたしの胸元で眠ってほしい。起きたらわたしがいなくて泣いてほしい。さみしい。。

    これは本当にこわい感情。自分で書いててひく。

     

    わたしはいつの日か、我が子を抱ける日がきたらいいなと思ってた。まだ体調が不安定だし、今すぐにってわけでないけど、いつかは、、、と思ってた。恋人とも、二人の子どもをもてたらいいねと話してる。

    でも、今のわたしのめいっこへの想いを考えたら、ぞっとした。めいっこがもし自分の子なら、わたしは我が子を、自分の愛されたい欲を満たすめの存在にしてしまうのではないか、と。

    必要とされたいから、誰かの介助がないと生きていけない弱者を自ら産んで、自分なしでは生きていけない人間を製造しようとしてるのか?

    幼児の間はまだいいとしても、子どもの自我が成長して、自分の思い通りに動かなかったり、自分を必要としなくなった時に、ちゃんと手放せるのか?我が子を自分に依存させて無意識にコントロールしようとする、今のわたしと母親の関係である「共依存」にさせてしまうのでは??

    「ほら、あなた一人では何もできないでしょ。お母さんがついてないと」「あなたのためを思っていってるのよ」「わたしはあなたのために自分を犠牲にしてるのよ」「あなたを愛してるからよ」

    それだけは避けたいと思ってた。

    私はこの子を幸せにすることは出来ない。 - はなこのブログ。

    はなこさんのような母親になりたいと思っていた。

    はてなブログには見本のような母親がたくさんいる。ロールモデルとしてはありがたいけどだめな自分と比較してつらい)

    でも、すでにめいっこへの想いが、共依存関係への予備軍だという証拠だ。こんな想いを持ってるのでは、もうわたしはだめだ。だめだ。子どもなんてつくろうとしちゃいけない。授かりものだというのならば、避妊具なしのセックスは今までもこれからも、絶対あっちゃいけないんじゃないか。

    こわい。可愛いはずの我が子に、わたしのさみしさを埋めてもらうために産んで世話をし、その行動理由や感情を「母性」とか「愛情」と自分で誤認してしまうことが恐ろしい。

    もし我が子に「なんでわたしを産んだの?」ときかれたら、わたしはうまく答えられないと思った。

    生まれてくることって、事故みたいなもの - よもちかブログ

    (よもちかさんがおっしゃるように、わたしも事故だと思ってる節がある。なのに産みたいってどう考えても矛盾してる。こわい)

    我が子に興味本位でどうして?ときかれても答えに詰まってしまうところを、悲痛な表情で問われたら、わたしはつらくて体がもげてしまうかもしれない。

     

    わたしが実の母親からもらった返事は、「可愛いから」だった。可愛いから産みたくなるもんやろ。でも子どもの可愛い時期はすぐ終わっちゃうから、次の子、次の子と産みたくなって3人産んだそうな。

    母親が可愛がりたい対象としてわたしは産まれたのか。産んだら祖母にほったらかしにしといたくせに、産んだのは自分だからって今まで母親ヅラしてきたのか。小学生の頃にきいたことだけど、わたしは覚えている。

    だから、この問いに対する返事って、子どもにとって、とても重要な意味を持つんじゃないかとわたしは思う。

     

    「二人の愛情の証が欲しかった」

    ちがう!

    「二人が育児を通してさらなるステージへ成長するために?」

    ちがう!

    「いい家庭を築きたいから」

    これは論点がずれてる気がする!

    やっぱり、かわいいから、に尽きるのか?

    ことばでは説明がつかない、よな。

    わたしは、なぜ子どもがほしいのか。そもそも、子どもがほしいと思い始めたのは本当にこの1年以内だ。恋人と一緒に住みはじめて、この人となら…と思えたから。それと、めいっこが産まれて、めいっこに生かされた経験があるからだ。

    大げさだと笑われるかもしれないけど、絶対に伝わらないと思うけど、でも今から思えば、やっぱりめいっこに生かされたとしか思えないんだ。

    どうしても希死念慮にとりつかれて仕事辞めて実家に帰って、もう生きてられないと思った時に、姉が子どもを連れて実家にきてくれた。そのときはじめて産まれて3週間の赤ちゃんをみた。がんばってがんばってお乳をのんで、そのまま力尽きたように眠って、また起きたら泣いて、立派にちゃんとうんちもおしっこもして、またお乳をのむ。

    その存在がなんだか尊すぎて、わたしこの子の成長を見続けたいからもう少し死なないでおこうと思った。母親から罵倒されても、妄想の声が止まらなくても、発狂しても、この子が大きくなっていくさまを、自分がどんな姿になってでもいいから見たいと思った。

    いざ死のうと駅のホームへぐらりと体を傾けても、めいっこの泣く顔が思い出された。家族の顔でもなく、恋人の顔でもなく、めいっこの生きる姿だった。

    ホームでわんわん泣いた。高いとこ登って遠くに見える地面を眺めるときも、やっぱりめいっこが浮かんで、死ぬに死ねなくて泣いた。こわかったし、ふがいないし、生きたかった。あんなふうに生きたいし、生きる姿が見てみたかった。

    でも、やっぱりわたし自身が子どもをもつことはこわい。

    同じ目に遭わせたくない。悲しい思いをさせたくない。

    恋人からプロポーズを受けてもらえて、わたしの感情も穏やかな時期が続いたので、ああ、今このまま子どもが授かればいいなとつい最近まで思ってた。こじらせた「我が子をもつこと」についても、少しずつ落とし所を見つけてきたのかなと思ってた。で、実は生理が2週間遅れたから、もしかしたら避妊具に穴が開いてたということもあるかも!と思ってたんだけど、昨日生理きた。自分でも驚くほどがっかりした。

    めいっこ育児の疲れと、信頼してたカウンセラーがいなくなった喪失感も相まって、わたしは現在進行形で「我が子をもつこと」についてこじらせてる。

     

    なぜみなさんは、子どもを産んだんですか。なぜ産みたいんですか?

     

    恋人は、それはこれからゆっくり考えよう。結論なんてないけど、二人でさがしてみよう、といってくれてます。わたしも、そうしてみようと思います。まず、わたしが元気になりたい。

    自然に諦められるものなのか?まあいっか、産もうかと思える日がくるのか?こんな自分を受け入れて許せる日が来るのか?

     

    中勘助さんの「銀の匙」はいつ読んでも涙がでる。

    追記

    恋人は次のようなことを言ってくれた。
    「自分の愛されたい欲を満たすめの存在。必要とされたいから、誰かの介助がないと生きていけない弱者を自ら産んで、自分なしでは生きていけない人間を製造」という観点は、どんな親にも少なからずあると思う。
    でもそれはいろんな気持ちの一部分なだけであって、悪いことではない。
    自分を責めないで。 

    わたしは弱い。汚い自分を見つけて怯えてる。それが多くの人にとって当たり前のことだったとしても、許せなくなる。
    まだ、かっちかちで、肩の力が抜けない。

    一寸先が闇と絶望

    しんどい時について書いてみる。だから、今元気のない人や暗い話を読みたくない人は閉じてください。


    しんどいとき、混乱してるとき、朝起きたらもうすべてが絶望感であふれてるとき、そういうときは、1日がとてつもなく長く感じる。といえば簡単だけど、今日はその詳細を思い出して書いてみたい。

    どうやって過ごしていいのかが分からない。今まで自分がどうやって1日を過ごしてきたのかが思い出せない。これからどうやって1日の時間を過ごすのか分からないから、不安でこわくなる。
    何をしても間違ってて、何をしても自分にとっていやなことでしかない。

    何も予想がつかない。自分がこれからどこかへ向かってる姿や行動する姿が思い浮かばない。それは、計画をたてることができないということ。
    何もしたくない、に加えて、計画をたてられないということは、本当に何もできなくなるということ。怯えることと、つらいつらいと言うことしかできない。

    何もしたくない、といえば簡単だけど、何もしたくないというのはかなりつらい。
    たとえば、映画館にも行きたくないし、本も読みたくない、ごはんも食べたくない、寝たくない。こういう、自分が今からしようとする「積極的行為」なるものだけがいやになるわけでない。
    困るのは、「今そのままの状態でいること」すらがいやなこと。
    たとえばそのとき寝転んでたら、寝転んでることすらがいや。でも立ちたくもない。
    そのとき歩いてたのなら、歩きたくなくなる。でも立ち止まりたくもない。

    今視界に入ってる景色も見たくない。何も視界に入らないでほしい。でも目線をそらすことも目をつむることもいや。
    何も聞きたくないけど、耳を塞ぐこともこわい。なにもできない。

    立ちすくむか座り込んでしまうか寝転んでしまうか。ただ、じっとするだけ。もしくはへたりこむまで歩き続けるだけ。

    すべてがいやになるんだ。

    考えてるのなら考えるのやめたい。でも、もう何を考えていいのかすらわからなくなって、頭がうあーーー!ってなる。

    何もかもがいやってのはそういうこと。

    頭がストップする、のか、動き過ぎてストップしてるように思えるのか。

    今日は仕事へいった恋人にヘルプをした。駆けつけてくれた。2時間ほどそばにいてくれて、いろいろあったけど、なんとか気持ちが落ち着いたから、また会社に戻ってもらった。申し訳ない。

    恋人はなぜこんなわたしなんかと付き合ってるのか。結婚したらこれからずっと彼にこの重さを負わせるのか。そんなひどいことをしていいのか。

    昨日まで元気に明るく何事もなくいられたのに。もちろん前兆らしきものはあったけど。気付かないふりしたらこのざまだ。

    昨日寝る前、恋人に怒った。PMSとかも関係あるんだろうけど、双極性障害とかの影響なのかなんなのかしらないけど、異様に怒りの沸点が低くなるときがある。
    昨日はわたしが話をしてるときに恋人があくびをしただけで、激怒した。
    こうなると手が付けられない。自分でも何に怒ってるのかさっぱりわからない。わからないけど、理由なき怒りにわたし自身が翻弄される。こわくなる。抑えようとすればするほどエスカレートする。

    いったんすべての怒りを吐き出すと、急にハッと我に返るような瞬間がある。そして泣きながら必死で恋人に謝る。恋人もこの瞬間をいつもひたすら待ってる。
    待ってくれるから、今まで付き合ってこれた。いつもこんなわたしを許してくれるから、別れずに一緒にいる。

    豹変する自分がこわい。自分で自分が気持ち悪い。

    朝起きたら、まだ残ってる理由のない怒りと呵責などで混乱して絶望感でいっぱいだった。

    最近元気になってきたな、と思えば、すぐこんな状態になる。

    一歩一歩だ。
    やけにならずに。
    くさらずに。





    痛みがすごい

    ある程度予想はしてたけど、予想をはるかにこえる筋肉痛がきてます。

    自分の体のありとあらゆる関節がミシミシいってるし、ありとあらゆる筋肉が悲鳴をあげてる。
    それぞれ指の第一関節、第二関節まで痛い。
    はー。痛い痛いってわたしうるさい。
    昨日から痛いっていうワードを使いすぎな気がする。
    とりあえず、いつもヨガへ遅れそうだからって人混みの商店街の中を駆け抜けるとき、のっそりのっそり歩くご老人の方に対してイライラしたことに、深く深くお詫びしたい。

    今日は買い出しに行くのも億劫だったし、包丁で食材切るのもたいへんだったから、今晩のおかずはオクラの肉巻きにした。うまかった。

    あと、今日は動けなかったこともあり、ちょうど借りてた「エデンの東」を観た。あのジェイムスディーンのやつ。
    大学の授業で早送りしながら観たことあるけど、そのときは昔のアメリカはやっぱ汚いなあくらいの印象しかなかった。
    今日観たらすごくよかった。よかったと思えてよかった。

    こうやって文章打ってると猛烈な眠気がやってくる。まぶたの重みがすごい。

    寝ます。

    新しいコミュニティに属するということ

    実家から戻って以来くたびれがでていて、2,3日ほど放心状態が続き、ほとんど寝てた。布団から起きれなかったし、なんのやる気も起きなかった。燃え尽きてた。1.5歳のめいっこパワーはおそるべし。

    グアムから戻ってきた姉夫婦からいただいたお給金のほとんどが、鍼灸院代に消えた。喉が痛くなったり、微熱が続いたりしてる。体調よくない。

    で、そんなときにも関わらず、なんと、今日は!!近所で結成してるバレーボールチームの練習に参加してきたよ。7年ぶりだよ!
    もうね、もうね、すごい燃えた。たのしかった。
    でもすごい疲れた。膝に紫のアザができたし、腰骨は打ち身とすり傷?で腫れ上がった状態になってる。膝がぶるぶるしてる。左足中指の爪が死んだ。
    あと、かなり腰がいたい。たぶんアタックするとき海老反りになるからかな。体、結構キてる。

    何よりも、久しぶりに30人近くの初対面ばかりの人に囲まれて、いろんな人とコミュニケーションをとったことが新鮮だった!と同時に、めちゃくちゃこわかった!
    今まで人に会うといったら、旧友に会うか、もしくは恋人の会社の集まりに参加させてもらったことくらいしかない。
    恋人の会社の集まりに参加するときは、周りの人からみるとわたしは1人の人間としてではなく「同僚の彼女」としてしか扱われない。
    同僚のオプションとしての扱い。まー、気は遣うけど、ちょこんと座って愛想良くしておけばいいだけだから、気楽だった。

    それが、今日、30人ほどのメンバーが一斉にわたしに注目して、わたしの自己紹介をきいて、わたしのプレイをみて、わたしを判断した。
    それぞれがわたし一個体としての印象を持った。
    そういうの、久しぶりだった。

    新しいコミュニティに参加することはかなり勇気がいるし、すごいこわいことなんだけど、それは過去のわたしを知らない人と新しい付き合いができるということ。
    そんでそのコミュニティは地域に根ざしたものだったから、今住んでる地域に知り合いができた。だから街中を歩くと知り合いに会う可能性があるということ。
    多少面倒くさいことなんだろうけど、今のわたしにはうれしく感じられる。

    友だちでも同僚でもない、チームメイトという存在ができた。
    体はぼろぼろで、いたるところから激痛があってつらいんだけど、なんていうかコミュニティに属することは社会の一員としてやっと認められた感じがしてうれしい。こういう気持ち大事にしたい。
    働いたらまた新しいコミュニティに属せるよな。そういう意味で、はよ働いてみたいよな。
    余裕が待てる範囲で、いろんなコミュニティに属してたいな。

    新しい人と知り合うということは、面倒なことも一緒についてくることだとも思うけど、今のわたしにはその余裕があるのかもしれない。すべてどーんとこい!と思えてる。

    実家に帰って、いろんなどろどろしたものを前よりも清算できた分、すこし入る隙間ができたのかもな。

    でもでも、体力ないし、いたるところにあざがあるし、まだのどは痛いし、足の爪が1つ死んだし、これからもバレーを続けられるかは自信ないんだけどな。

    あと、高校時代とはまた違ったプレイをする自分に驚いた。前の方が技術力や体力は格段に高かっただろうけど、今の方が周りの様子を落ち着いて観察できるようになった気がする。
    その落ち着きや余裕のおかげで、相手コートよ空いてる箇所が分かるからアタックの打ち分けによって点が取れた。
    高校時代はただひたすら速さと勢いでがむしゃらに打ってた気がする。

    ちょっと何書いてるかわかんなくなったし、指も震えてるし(iPhoneから打ってる)、これにておわることにする。

    ねむたい。


    おうちへかえろ


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    特急に乗って帰りよります。
    緑いっぱいの車窓です。

    今朝は6:00頃起きて、おじいちゃんの墓参りへ行った。わたしがおじいちゃんの墓参りをすることが、おばあちゃんにとって1番喜ぶ行為になるからからだ。
    や、もちろんおじいちゃんが好きだったからというのもあるんだけど。

    めいっことおばあちゃんと一緒に、墓の前で般若心経をとなえた。わたしは4歳の頃から般若心経ぜんぶを空でとなえられた。みんなからよく褒められたものだった。
    久しぶりにとなえたけど、意外と覚えてるもので、ほぼ間違わずにとなえられた。おばあちゃんは嬉しそうだった。お墓参りしにきてよかったなと思った。

    めいっこはお経をとなえるわたしたちを不思議そうな顔で眺め、線香のにおいに顔をしかめていた。

    そのあと、おばあちゃんに浴衣の着付けの仕方を教えてもらう。おばあちゃんの指導は厳しくて、最初から帯閉めまでの過程を10回ほど繰り返した。なかなか帯をリボン状にするのは難しい。
    クーラーのきいてない部屋で、2人ともぶるぶる汗で浴衣の着付け練習をした。
    今年こそは、激安で買った浴衣をちゃんと着れるかな。2番目の姉が「恰幅がないからあんた浴衣似合わへんな」と言ってきた。
    成人式のときも、バスタオルを2枚詰めたことを思い出した。

    昼ごはんは、おばあちゃんがカレイの干物を焼いてくれて、きゅうりとナスのぬか漬けも一緒にたべた。おいしかった。めいっこはシャケが大好きで、ごはんをあんまりたべずに、シャケばっかりたべてた。姉夫婦にバレたら怒られそうだ。


    これから新幹線へ乗り換える。所要時間はおよそ6時間。大移動だ。

    「おかえり」と言ってくれる人がいる場所へ帰れるのはいいよな。

    ただ、今晩は恋人は珍しくプログラマ同士の集まりがあるみたいで、出迎えてはくれない。ただくさいことを言ってみたかっただけ。
    恋人には友だちというものが全然いないらしいけど、プログラミングが大好きなおかげでプログラミングを語る会によく参加してて、たのしそう。

    さあさあ、はよ帰りまひょ。
    男梅の干し梅をたべながら。
    今回の帰省で口内炎が4つできたから、チョコラBBとか飲もうかな。

    実家最終日

    めいっこを祖母に預けて、中学の友だちとごはん食べてきた。

    その中には、昔いじめてきたSちゃんもいた。
    妄想の中で何度殺したか。首を絞め殺したいし鉄板で殴り殺したいし、剣山で八つ裂きにしてやりたかったSちゃんだったのに、今日会ったらまったく普通の、おんなじようなことで悩んでる女の子だった。
    見た目はかなりのギャルで、口はかなり悪かったのだけど。一生懸命毎日生活してる感じが伝わった。

    くだらんこと話して、わあわあ言って帰ってきた。
    当時のSちゃんへの憎悪や恐怖感は、いったいなんだったんだろう。今から考えると、あの感情は扱いが難しく、思い出すだけで鉛を飲み込んだような、どす黒いものだった。

    それから、わたしに適当に話したり受け流す力みたいなのがいつの間にか養われてたのかもしれん。
    前はもっと他人が発する一言一言について吟味して考え込んでた気がする。「あの子が言ってたことは本当はこういう意味だったんちゃうか」とか。
    年齢を重ねたゆえに、今だからできる会合だった気がする。

    ***

    帰宅後、めいっこを寝かせた。
    めいっこを寝かせるのはわたしが担当だ。だいたい昼と夜に、iPhoneアプリでオルゴールを聴かせながら歌いながら、抱っこひもで寝かせる。たいてい10〜60分ほど抱っこする。

    ギャン泣きしてる状態から寝落ちするまでのめいっこの変化がおもしろい。
    わたしはきらきら星を盆踊り調で歌ったり16秒子?、36秒子?とか、リズムを変えながら歌う。
    階段昇り降りしたり、外にでてアマガエルやウシガエルの大合唱を聴かせたりする。
    だんだん手がぬくくなってきて、鼻をわたしの胸にこすりつけてきて、目をこすって半目になり、ぐーぐーいう。

    やっぱり抱っこする時間が長いと、腰や肩が痛くなる。でも腰に負荷がかかるときはドローイング(腹筋に力を入れる)すると腰への負担が軽減されてよいらしい。こういう豆知識はピラティスで教わった。ピラティスありがたや。


    実家に帰ってから、情動が穏やかで、ありがたい。家がたいへんなことになっても、めいっこ連れて逃げたりして、気分転換したりできた。
    めいっこが家族の緩衝材になった。めいっこ、悪いなあ。ありがとうなあ。
    明日は姉夫婦にめいっこを返します。姉夫婦は新婚旅行、楽しめたかな。

    ***

    家に戻っても、この穏やかな気持ちは続くかな。反動で恋人にあたらないか心配。めいっこからおすそ分けしてもらった、このふわふわした感じを忘れずに、明日からまた生活していきたい。

    寝る。

    めいっこ記録

    今のところ2日間、1才半のめいっこと過ごしてる。
    ちなみに姉夫婦は、新婚旅行として昨日グアムへ旅立った。わたしに1万くれた。

    そんなめいっこと一緒にいて気づいたこと、おもったこと。

    ・魚の開きのほぐし身がすき
    ・特にカレイとアジをよくたべる
    ・きゅうりがすき
    アンパンマンがすき
    アンパンマンをスーパーでみかけると必ず「おっ!」と指をさす
    ・バナナはたべない
    ・自分の使用済みオムツを「ないないしてー」といったらちゃんとゴミ箱にポイする
    ・そのゴミ箱をのぞいて鼻をつまみながら「くちゃい」という
    ・昼過ぎにめいっこの手を出窓で挟んでしまい、めいっこギャン泣き
    ・わたし肝がつぶれる
    ・「わんわん」「ぶーぶー」あたりはいえる
    ・2語を話すのを目撃
    ・「わんわん」「待て!」「わんわん待てー!」
    ・階段をあがるときわたしが「よいよいよい!」といったらめいっこも「よいよいよい!」という
    ・風呂から上がるとぐにゃっとしたものを踏む
    ・うんちだった
    ・めいっこ2日間便秘だった
    ・胎便がでた
    ・めいっこオムツはいてなかった
    ・2人でもう一回風呂に入り直す
    ・外を眺めるのがすき
    ・砂場よりブランコより滑り台が一番すき
    iPhoneを渡すと「もしもし」する
    ・「こらっ!」と怒るとすごい目つきでにらむ
    ・プチトマトをあげるとべーして皮だけだす
    ・バナナ嫌いなはずなのにさっきお腹がよほど空いたのかバナナを1本とってきて「んっ!」とさしだしてくる
    ・むいてやると口いっぱいにほおばる
    ・結局太いバナナを1本まるまる完食
    ・ぐずる
    ・抱っこひもでおぶる
    ・ぞうさんを歌う
    ・めいっこの1日おわり
    ・あと5日、がんばる
    ・夜中起こされるのつらい
    ・寝れるだけ寝とく

    追記
    ・むくっと起きてくる
    ・冷蔵庫を「んっ」と指さす
    ・うどんを半玉ゆでる
    ・ちゅるちゅるたべる
    ・抱っこひもで抱っこしながら、お星様のオルゴールをきかせながら寝かせる
    ・寝た
    ・わたしも眠りにつく
    ・残り5日間体力もつんだろか

    めいっ子かわいいな

    実家に帰省してる。
    今晩はお好み焼きたべた。
    いろいろあることはあるんだけど、今までの母親や姉への歪んだイメージや印象が少しずつ現実のものへと置き換わっていく感じがする。
    思い出や電話なんかの印象だけじゃなくて、ちゃんと母親や姉が今を一生懸命生きてる姿を見れたことは、自分の認知のズレに気付くきっかけになれたというか。

    とにかく久しぶりに帰省してみてよかった。

    ただ、「同棲しとるのに結婚はせんなんて!!ふしだらだ!!」「相手はあんたのことをどう思っとんや」「遊ばれとんちゃうか」みたいなことはいまだに言われるのでとても悔しい。
    「もう婚約しとるもん」と言いたいところをぐっとガマンして、やんわり流してるんだけど。

    こういった2人にとって大事な話は、わたしたちのペースで進めたい。勢いあまって口を滑らしたくない。恋人のことを悪くいわれるのを聞くのはつらいけど、聞き流すよ。

    あと、めいっ子がかわいすぎて生意気すぎて悶える。お菓子をわたしの口まで持ってきて、食べさせてくれるのかと思って口を開けたら、意地悪そうな笑みを浮かべて自分の口へひょいぱくする。「うひゃひゃ〜」って笑う。
    この子は悪い子やな〜と思いながらも、でれでれしちゃうわ。

    ただ、お守りはめちゃめちゃ疲れる。世の中のお母さんってほんますごい。

    おわり