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  • 羊と鋼の森の映画の感想

    羊と鋼の森の映画をみた。

    自分なりのメモ。

     

    ・よかった

    ・最近思うのが、映画ってストーリーの展開だけが面白みじゃなくて、そのシーンの雰囲気や自分の心の動きや感覚を楽しむ要素があるんだな。ストーリー展開には観客を引き込む力がすごく大事で勢いとかテンポみたいなのに左右される。スローでのんびりなタイプの映画は先述した楽しみ方をするんだなと、みてる最中に思った。

    ・そう、だからこの映画にすごくストーリーがあるわけじゃない。

    ・いろんなことが不安で自信がない高校生の青年がだんだんとこれをやってみたいと思えることに出会い、それに対してひたむきに向き合いながらやっぱり自分はダメだとか落ち込んだりしながらも、しだいに自分のやってることに肯定感(これでいいんだ)をもてるようになり、意志を持ちはじめる。自分のこうなりたいっていう道筋を見つけ、そこに焦点があいはじめる。そんなストーリーでした。

     

    映画をみて書き残したいなと思ったこと、下記の3点。

    ・無意識に自分を癒やしてたことに気付けた

    少年期にはピアノのコンクールで賞を取るくらいの腕前の青年が今は引きこもりになってしまい、その少年がまたピアノを弾くことで生きたいと思う力みたいなものをとりもどすようなシーンがあるのだけど、そのシーンにとてもわたしは惹かれた。よかった。小学生くらいの自分がひたすらにピアノを弾いていた光景が急に思い出された。

    わたしは当時、実家や学校がとてもつらくてつらくて、なにもしたくなくてなにも考えたくなくて、帰宅したら両親が帰ってきて怒られるまでピアノを弾いてた時期があった。姉にピアノうるせえと怒鳴られるから姉のいない時間帯を盗んでとか、音を小さくしてとか、とにかく弾いてた。下手っぴなのに。時々その下手さ具合にイライラするのに。

    あれは今思えば自分へのなぐさめだったんだな。いろんなことが自分でどうにもならなくて歯がゆくてつらかったのだけど、ピアノを弾いてるとその時間だけ何も考えなくてすんだ。自分で納得のいくいい音が弾けると気持ちよかった。「わたしはなんであんなに今はぜんぜん弾けないピアノをやってたんだろう、たいしてうまくないのに、もっと意味あることしたらよかった」とか思ってたこともあったのだけど、あれは何か将来のためにやってたんじゃない。あのとき、あの瞬間の自分をなぐさめ、癒やしてたんだと思う。とても意味があることだったんだなあと思った。それに気付けたのがわたしにとって意味あることだった。

     

    ・コツコツやるということ

    まだ専門学校を卒業したての青年が、あこがれの上司に対してどうしたらもっと一人前になるんですかときいたらコツコツ仕事をやりましょう、みたいな返答があったのだけど、コツコツってどうしたらいいんだって青年が悩むシーンがあった。わかる。わたしもひたすらコツコツってどうやるんだ、とにかく頑張ります!精進します!とか昔からずっと言ってた。今思えば頑張んなくてよかったんだと思う。コツコツ続けるのと頑張ることは対照的。過剰な気張りがうまくいかなくさせることが、よくあった。肩の力を抜いて、目の前のことを淡々とこなしていくことがだいじなんだと思った。そしたらいつのまにか残るものがあり、拓けてくるものがある。こっちの方面がおもしろそうだなとか、あっちの方が自分の性に合うなとかがみえてきたりする。それを大事にしたらいいんだと思う。自分が若いと、頑張ることへの焦点が遠すぎたり近すぎたりしてしまう。そのバランスが今でも難しい。

     

    ・みんなが「自分にマッチしたいい仕事」に出会えたらな

    自分はこれをやりたい!大変だけど楽しい!いつかこうなりたい!と熱量や意志をもてる仕事につけたら、それってその人の日々や人生がすごく楽しいことになると思うんだ。仕事は人生の半分の時間を過ごしてるから。いい仕事につけたら、それだけで人生単位で幸せなことなんだと思う。生きてる実感がもてると思う。

    ツイッターを見てると、少なくない人が仕事がとても嫌だと言っている。わたしの父も母も姉も苦しそうに仕事をしていた。そもそも仕事とは、お金を稼ぐためにイヤイヤ働かなきゃなのかな。嫌なことを毎日やるのって、それはとても苦だよなあ。

    わたしの場合、産後はずっと育児だけで周りの保育園がいっぱいで認可外保育所しかあいてなくて保育料分も稼げるのか分からなかったけどわたしは働きたかった。つまりそれは、仕事に対してお金以上の価値を見出したことだと思うの。子どもと離れる時間ということ、ひとりで何かに没頭すること、だれか自分たちと価値観や文化の違う他人と定期的に話すこと。

    なにかの本でも見かけたけれど、人は元来は働きたい欲を持ってるものなんだと思う。みんなが自分で気に入った仕事につけたら、それだけでみんなのイライラが減るんだと思う。もっと周りの雰囲気が平和なものになるんだと思う。

     

    この映画の青年は、仕事に対して最初はどうしたらいいかわからないし自分は才能も知識もないしと、うだうだもがいてるときがあったけど、この人を支えたいこの人が気持ちよくピアノをひけるようにこうありたい、と考えたときにぐっと顔が引き締まった瞬間があったのだけど、そういうのがあるととても素敵。道を見据えられた感じがとてもよかった。

     

    これで映画の感想はおわり。

    久しぶりに映画の感想を書いたけど、なかなか自分で納得のいく文章が書けなかった。自分の心の動きや考えたことをうまく自分の言葉で言い表せなかった。

    そんなときに、大学で受けたある出版社の編集者の人の講義について思い出した。あれはとてもよかった。

    自分の文章に赤を入れてくれるのだけど、その直しがなんだかわたしの気を楽にしてくれた。直すというより、より自分のことばで伝えてね的な感じ。感動とかのワードは思考停止だよと教えてくれた。何がどういう風に心を打たれたのか。いいことを書こうとしなくていい。自分の思考や感情によりそってあげることなんだ。だからものを書くのは自分の癒やしになる。

    わたしはすぐ音読みの熟語を使いたがるのだけど、展開した方が読みやすいし自分の言わんとすることにあてはまる。別に難しくなくていいし長くなってもいい。簡単なことをより具体的に。そこの遠近感がだいじ。近づいて近づいて、そして遠のいて全体像をみる。面白くない文章はずっと同じ遠近感で書く。抽象的すぎても面白くないし、具体的すぎても何が言いたいのかわからない。

    また上記のことを意識しながら文章を書く時間がとれたらいいな。

    昔はピアノやバレーをすることがわたしの癒やしだった。癒やしの方法をたくさん増やしたい。いまは文章を書くことは、自分の言いたいことをうまく書き表せなくてモヤモヤしてしまうことの方が多いのだけど、いつかはわたしの癒やしの方法のひとつになるといいな。