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  • ちょこちょこと自分の欲を叶えてやろうな

     あまり時間がないけど、とにかく書いてみる。

    子が産まれてから圧倒的に自分の時間がなくなった。子の世話と家事しかできない。いや、家事すらあやうい。特に0〜3ヶ月まではひどかった。息をつく暇のないほど怒涛の日々で、わたしってどんな人間だったっけと考えてしまうほどには自分の時間がなかった。

    今は息子の成長とともに、一息つける時間が増えてきたはものの、自分の時間を作ることの難しさとその大切さを痛感しているところ。

     

    息子はよく泣く子で、低月齢の頃からわたしの姿が見えなくなるとすぐに涙をぽろぽろ流しながら号泣していた。こんなに泣かせてまで家事をする意味とは?とよく考えた。

     

    わたしが何かをしたいと望むことで、結局それをすることができなくてイライラしたり不満を抱いてしまうケースがほとんどだったから、それならば何かをしたいと望むことをやめようと思った。

    自分の時間がほしいと思うとイライラしてしまう。だから、ただひたすらに無心になりたいと何度も思ってしまう。

    ひとりで散歩したい、好きな作家が出した新刊を読みたい、二子玉でやってる展示会に行きたい、新しくできたフレンチのお店にランチしに行きたい。

    いや、もう根源的なところからいうと、寝たい。心ゆくまで寝たい。一度でいいから5〜6時間まとまって寝たい。あとは欲を言わないから、息子のことを気にせずのんびりごはんを作ったりだらだらと洗濯物をたたんだりしたい。でも、叶わないことばかり。

     

    だから、欲を持ちたくない。目の前にあることにアルカイックスマイルで淡々と取り組んでいたい。毎食納豆ごはんだけで満足できる体になりたい。4時間睡眠でも動ける体になりたい。家にずっと引きこもっても大丈夫な心になりたい。いつも息子の世話しかしてなくて平気になりたい。

    何かをしたいという望みを持ちたくない。

    もう修行僧みたいなことをよく考えてたし、今も時々そう思う。あやうい状態。

     

    でもでも、人間だから何かをしたいと思うのはとても健全なことだし、それを押しつぶしてしまおうとするのはどこかに歪みがでてきてしまう。たとえば仕事に毎日出かけられる夫にイライラしてしまったり。

    だから、ちゃんと、自分の何かをしたいという気持ちに向き合って、折り合いをつけながら少しずつ叶えていってあげたい。そのためには夫や周りに甘えなきゃな。

     

    ちなみに、したいことというのは2種類に分けられる。1つは主に洗濯や部屋の掃除とか離乳食を作ったりするような、家族のために時間をさくやつ。

    もう1つは自分ひとりがたのしむための娯楽のやつ。

    奇跡的に空いた時間は、どうしても前者にさいてしまいがちになる。

    「今のうちにあの料理だけ作っちゃいたい」「洗濯物だけたたんじゃおう」「このすきに離乳食のじゃがいものペーストを作っちゃっておこう」とかとか。

     

    結局、手放しで15分以上の空き時間がなかなかとれず、自分の娯楽の時間は夫に息子を預けないととれない。それも月2〜3回ほど。1〜2時間。

    これは不満のもとになる。奇跡的な空き時間こそを自分のためだけに使うようにしたい。

    好きな小説を読むだけで、ひとりで街を歩くだけで、そのあとに対面する息子が数百倍かわいく思える。夫に数千倍やさしく接することができる。プライスレスな時間。

     

    育児に大事なことは、ちょこちょことした不満を積み重ねないこと。ちょこちょことした満足感を積み重ねることなのかもしれないな。