仕事が苦じゃないぞ
すごく怖い夢みた。
どんどん追いかけられるし突拍子もないところから手裏剣より鋭利なものががんがんびゅんびゅん飛んでくるし、爆発して体を吹っ飛ばされるとか斬殺的な攻撃もあって悲惨だし、仲間と思ってた人が仲間じゃないし、そこらへん歩いてる一般人も実は敵だったし、なにも信用できなくてすごいつらかった。
ついに場面はクライマックス(?)を迎え、敵どもと対峙し全面衝突っぽいところで、窓の外から子どもたちが「おーい!!おーーい!!」と大きな声で叫んでる音が聞こえた。 それでもわたしは「このまま夢の続きを見なきゃいけないんだー」という変な正義感から起きたくない!という気持ちがあったけど、もしかすると子どもがわたしを助けようとしてくれてるんだなあと解釈して、夢かうつつかの狭間でなんとか目を覚まして1日を開始した。
結局あの子どもたちの声は、なんだったんだ。本当に近所の子どもの他愛もない声だったんか、それともわたしがつくりあげた幻聴だったんか。 うーん。 まー、どっちでもよい。 助かった。
***
結婚式が終わりました。 あんなにたのしくてうれしいことはないんじゃないかと思うくらい、夢のようなよい1日だった。本当にああいう機会をもててよかった。
そして、仕事を始めました。 経理のお仕事です。 今のところたのしんで仕事できてて、あまり苦痛を感じてない。職場の方も良い人が多いし、何より誰にも追い立てられることなく自分のペースで作業できることが、すごいよい。
わたしがまたオフィスワークしてるなんて、まだちょっと信じられない。 前職の影響で、事務みたいな閉鎖的な空間にこもって人とこれやってあれやりますみたいな会話を持ちながらの仕事は、もうできないだろうなと思ってた。 わたしは理解力がかなり乏しいからみんなに迷惑かけるし、がんばってもどうにもならないことだから性質的に向いてないのかも、とか。
もちろん今も、何をお願いされてるか分からないこともあるし教えられてもいまいちピンとこないことがよくある。それどころか間違えた理解をしてて、へんな数字を出してしまうことも結構ある。 だけど、上司の方は嫌がる様子も見せず丁寧に毎回教えてくれるから、わたしも安心して質問できるし間違えたことを報告もできる。同じ質問しても怒らない。これすごい。奇跡。ワンダフル。
こんな職場が世の中にあったんだなあと思った。 いや、あるんだろうということは分かってたけど、そんな会社がわたしを求めないだろうなと思ってた。
鬱々してた頃から比べるとだいぶ明るくなったけど、仕事に関してはまだまだ卑屈なところが強くて強固なコンプレックスとなってたみたい。仕事へのコンプレックスが強いと、夫や友だちとの会話の中でもつらいなあと思うことが多いのでどうにかならんかなと考えてた。
それならいっそやってみようと思い立った。思い悩むよりは、自分にでもなんとかできる仕事もあるし会社もわたしを求めてくれるところもあるんだよと自分に証明したくて。 でも、ことごとく面接に落ちた。 新人に優しいような健全な会社は、1年半で辞めてそれから2年フラフラしてたわたしを欲しがるはずないよなあ〜と諦めそうになった。
でも今、なぜか今の職場に拾ってもらえた。いまだに信じられない。うれしい。うれしい。そしてすごくたのしい。
仕事せずのらりくらり家のことしたり本読んだり、いつでも自由なことができたのもすごくいい時間だったけど、仕事を始めたことで日々にメリハリがついた。ごろごろすることの気持ちよさとありがたさが増した。
周りの人は「おー、やっと働き出したか」くらいの反応だけど、わたしにとっては周りの景色が少し変わって見えるほどの心境の変化がある。
朝起きられるかなとか、帰宅してからごはん作れるかなとか、そういう心配もあったわけだけど、今のところ思ってたほど苦なくできてる。
たぶん体力がついたんだと思う。気持ちの面でも少し楽に考えられるようになったってこともあるだろうけど、それ以上に体がモリモリ元気であることの方が大きいと思うんだ。
疲れて帰ってきても、ごはんをうまいなと思いながらモシャモシャ食べられて、お風呂にはいってファ〜〜といい気分でため息つけて、夜になるとコテンと眠れるような、そういう体力。健全さ。THE 健康感。
長い長い休眠生活があったからこそ、こういう体力が少しずつ養われてたんだなあと思った。
朝起きられないとかごはんがつくれないとかは、体がついていかないから。たぶんいわゆる健康な人は眠たくても頑張ったら這ってでも起きれるだろうけど、わたしは頑張っても物理的に起き上がれなかった。あのときの敗北感とか情けなさときたら…。
「眠いけど頑張って起きたら起きれた」っていう事実はすごい自信になる。今はひとつひとつのことがわたしの自信につながってる。
よいことだ。 うんうん。