• follow us in feedly
  • 経験しないと分かんないこと

    両家へ結婚の挨拶をしてきました。とても大切な日となりました。

    わたしはこの2日間で多くの気持ちを学びました。経験してみないとわかんない感情を知ったんだと思う。 

     家族のこと

    わたしは家族のみんなとうまくいってなかった。

    わたしが小学校高学年の頃に、家族の何人かに変調があり、うちの家からは毎日のように雄叫びがあがることから近所からは遠巻きにされ、暴力や自傷行為などで警察や救急車のお世話になることが何度かあるような中で育った。

    大学へ出るまでわたしはこの家族の中から逃げることもできず、逃げる気力すらなく呆然と過ごしていたけど、大学進学を機に遠方へ逃げた。

    ただその後もいい距離感を保てず、母親と共依存の関係になったり、実家から逃げた自分を責めて「帰らねば」という強迫観念に悩まされたり、うまく付き合って行けない状態だった。

    最近は、揉め事やいざこざは大なり小なり発生してはいるけど、昔からは考えられないほどいつの間にかある程度穏やかな家庭になった。

    でも、わたしには当時の家族の姿や雰囲気を払拭できずに、どう受け止めていいのか、どう付き合っていけばいいのか分からなかった。また元に戻るんじゃないかという不安もあり信じ切れないところもあった。

    なので、いざ挨拶へ行くとなったとき、とてもこわかった。家族は恋人と何度か会っており、そのたびに「暗い人だしもっと他に良い人がいるんじゃないか」といわれた。

    本当は挨拶に行かないほうがいいかもなと思っていたけど、恋人は「俺が挨拶に行きたいんだよ」と言ってくれたために、なんとか勇気を出して、行ってきた。

    挨拶へ行ってよかった

    結果として、行ってよかった。

    わたしのがんじがらめだった何かが、ほどけた感じがあった。今までのことすべてを赦し、赦された気持ちになる瞬間があった。

    いつもは声が小さくて他人と目を合わせられずに挙動不審な恋人も、その日はよく通る声で、まっすぐ両親を見て、挨拶をしてくれた。

    「今まであいじさんとは、たいへんなことがありましたが、」ということばを聞いたときには、わたしも母も号泣した。

    わたしがしんどいとき、つらいとき、死のうとしたとき、いつもいつも恋人が必死で踏ん張って助けてくれたことが走馬灯のように駆け巡った。頭がわけわかんなくなり、ことばにならず、ただただ涙しか出なかった。恋人と一緒に、よろしくお願いしますと頭を下げた。

    恋人、とても格好良かった。

    家族の変化を受け止められた気がする

    姉は旅行がどれだけ楽しかったかを身振り手振りを交えてしゃべる姿を見て、昔の姉とはちがうんだなと実感した。めいっこも元気に芸をしてくれた。

     母から花束をもらった。 ガーベラとかすみそうの、きれいでシンプルな花束。わたしが知ってる数少ない花の中で、好きな花を覚えてくれていた。今までもらったどの花束よりもずっしり重く、温かく感じた。

    みんな総出で障子をはりかえてくれたり、部屋の掛け軸を変えてくれたり、家の大掃除をしてくれたみたい。そういうことに気が向くようになって、みんな元気になったんだなあと思った。

    恋人の実家では

    恋人の幼少期のアルバムを見せてもらった。産まれた直後からすでに恋人の面影があっておもしろかったし、今と変わらない仕草や表情をする写真がとても愛おしくて、笑えた。

     結婚とはなんぞや

    Yahoo知恵袋的なやつに、結婚する意味とかメリットについての質問を投稿したことがあるほど、わたしはなぜみんなが結婚したいと思うのかが分からなかった。

    なんでみんな結婚すんの? 同棲から結婚へ思い切るきっかけってなんなの?同棲してたら事足りるよね?結婚したら離婚するの大変じゃない!結婚がよいものなんて幻想でしょ!なんでみんな結婚したいの?そんで、ここまで思ってるのになんでわたしも心のどこかで結婚したいと思ってんの!?

    でも実際に自分がこういう運びとなったときにゃ、月並みだけど理屈じゃないなと思ったよ。理屈じゃない感覚を2人が大切にしていきたいと思えたことと、タイミングとか縁とか勢いとか、なんかそんなやつなんだなって思った。

    それに、結婚の良いとこを結婚する前はよく考えてたけど、全然答えがでなかった。 でも、いざ結婚しようとすると、どんどんと良いことがたくさん発見できる。 結果論だけれど。

    そしてこれまた結果論だけれど、実の両親に加えて、心強い両親がもうひとつできた感じがする。 「大変なことは2人だけで抱え込まずに、相談してきてね、頼ってきてね」という存在が2つもあるなんて贅沢だ。

    あと恋人の両親はとても素敵な方々で、こんな両親の義娘になれるのが嬉しすぎる。

    両家の方々に祝われると、なんだかわたしたち2人の基盤が固まった気がした。今までは2人だけの世界だったのが、もう少し広がった感じ。

    土台がしっかりしてると、落ち着いて構えることができるし、何かにつけて余裕ができると思う。  

    人数が増えるとその分揉めごとが増える可能性は高いけど、それも含めてよしとするのだ!

    挙式とは

    これまた結婚前から考えてたこと。

    結婚式ってなんのため? みんなにお披露目するため? 地盤固め? みんなから祝ってもらいたいから? 感謝を伝えたいってやつ?

    挨拶へ行く前はわたしたち2人とも挙式に関しては冷めてて、したくないよねという意見で一致してたんだけど、挨拶へ行って両家から思わぬほど祝福されたことで、考えが少し変わった。

    あと仲の良い友だちにあらかじめ入籍予定の報告をすると、みんなとても喜んでくれ、中には「ほんま良かったなあ」と涙ぐんでくれる子もいたことが、考えが変わったことのひとつだと思う。

    そういう心から喜んでくれる人がいるってことがうれしいし、喜ばしいことをみんなで共有できる場があればいいなあと思った。 祝われたらこんなうれしい気持ちになるなんて知らなかったから。わたしたちのことをこんなにも喜んでくれる人がいるなんて知らなかったから。

    わたしたち2人は友だちの人数が少ないから、結婚式に出席してもらっても自分の知り合いが1人もいなくてぽつんとしてしまうことを懸念してたけど、今のところ、それでもいいから呼んでねと言ってくれる子ばかり。なんとか策を考える予定だけど、ありがたいです。

    そういう仲の良い友だちを呼んで、「おめでとう」を聞きたいし「ありがとう!」って言いたい。

    ありがとうには、臭いけどあなたの存在がありがとう、ってことも含まれてると思う。 呼びたいと思うからには呼びたい想いがある。実際にお世話になったから。普段から仲が良いから。日々支えてもらってるから。お互いのことが好きだから。あまり会えなくても相手のことを大事に想ってるから。

    そういう想いから、いつもありがとうねって、これからもよろしくねって、伝えられる場所にさせてもらえればありがたいなあと思った。

    だから豪華さじゃなくて、お人形さんみたいに着飾られるだけでもなくて、質素でもわたしたちのことばや想いが伝わりやすく、みんながわたしたちにおめでとうと直接言えるような、会話ができるような、距離が近いような、そういう場が設けれたらいいなって思った。 

     子どもとは

    帰りの電車で、恋人と話したこと。

    今までわたしは自分が毒親になるのこわいし、子どもを自分の我欲を満たすための存在にしてしまうことが怖いから今までわたしは子どもを産んじゃいけないやつなんだと思ってたけど、なぜか今は漠然と「いずれかほしい!」と思ってる自分がいると伝えた。

    恋人は次のように答えてくれた。

    漠然とほしい気持ちに大義名分とか理由とかないくていいし、子どもの存在意義も見出さなくていいと思う。俺が思うに、うまく言えないけど、子どもってのは、親が産んだのがその子どもってだけの関係性であって、それ以上でもそれ以下でもない関係だと思う。随時生まれてくる感情や想いは、またその時に話し合って考えよう。

    なるほどなあって思ったよ。恋人がいい家庭で育ったことがよくわかる。

    わたしはこの人と一緒なら、我が子とも適当な距離をとれるかなと思えた。

     ****

    今もいろいろ面倒なことや悲しいこと、つらいことに向き合わなければいけないことが多々あるから「しあわせ〜ぽよよ〜ん」ってわけではないんだけど、この気持ちや出来事を忘れたくないし、しぼんでしまわないように、早くしたためなきゃ、と思って書きました。

    これからも、普通のなんてことない日常を笑ったり泣いたりしながら送ります。