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  • 性欲か、さみしさか

    ちょっと思い出したので、つらつら書いてみる。

    1年ほど前。ボロボロの状態で仕事をやめたと同時に恋人と同棲を始めたとき、わたしは彼とのセックスをいつも求めていた。

    もともと恋人は性欲が薄い方だったけど、同棲前は週1,2の頻度でしていたはず。たぶんどちらからともなく。

    でも同棲を開始してからめっきり減った。わたしが求めても「疲れてるから」、「眠いから」などで応じてくれないことが増えた。とても悲しかった。悲しくて悲しくて、日増しに恋人への不満や憎さがつのった。

    日中はひどい頭痛や節々の痛み、倦怠感や絶望感で外出できなかったので、誰かと触れ合うことがほとんどなかった。痛みに耐えながら、強いさみしさを感じてた。誰かに会いたい!話したい!触れたい!

    けど誰とも会いたくないし、そんな体力も気力もない。

    その欲求の矛先がすべて恋人に向かった。誰かに必要とされたい、求められたい(性的な意味以外でも)、良い時間を共有したい、そういうすべてのどろどろしたものを恋人とのセックスに集約させようとしてた。これらすべてを、「性欲」だと思ってた。

     

    わたしはもともと性欲がある方だと思っている。性欲というより性への好奇心が強い。学生時代は医療とか福祉系の大学だったからか性用語は恥ずかしげもなくバンバン飛び交うし、学生同士で性のディスカッションをしてプレゼンするほどだったので、とにかく性に向き合う時間が多かった気がする。「障害者の性」として、身障者の自慰を手伝うアルバイトをしてる子もいた。

    鬱になると性欲減退するというのに、わたしはなんで性欲が有り余ってるのか、もしかすると鬱じゃないかもしれないと思ってた。しんどいくせに性欲旺盛だなんて、本当に不埒なやつだと恥ずかしかった。


    結局、セックスをしてくれない恋人への不満や憎さが強まって、わたしはいつもイライラし、恋人とのケンカが絶えなくなった。ケンカというより、わたしが一方的にふっかけるだけなんだけど。2人の仲はどんどんぎくしゃくして、別れたいけど別れられない〜というような泥沼化とした関係が続いた。

     

    そこで単純なわたしは自分の性欲らしきものを呪いながら、「わたしの性欲が問題なんだ!性欲さえなければ!どこかでガス抜きして、性欲をコントロールしさえすれば恋人との仲は戻るはず!恋人のために誰かとセックスしよう!」と、浅はかなことを考え、ネットを漁った。

    1人で性欲処理することも考えたけど、全然したくなかった。エロ動画を眺めてみるけど、そんな気持ちにはまったくなれなかった。ただ2人でしたかった。ひょんなことで、ある男性、A君とメールするようになる。

    きけばA君は大学生。身長も高そうで、届いた写真は遠くてよく見えないけど黒髪メガネで、かなりわたし好み。たぶんある層にはモテる。あと自撮りじゃなかったのも良かった。わたしも昔の友だちとの写真をかなり画質悪くして送ったら、向こうもその気になり、さくっとしようかとなる。後腐れなくしようか、と。「うわー、簡単だな」とびっくり。

    A君はメールの内容からみるに、無邪気でわりかし穏やかそうな雰囲気で、まあ良さそうな人だった。A君にも恋人がいるようだけど遠距離でなかなか会えないそうだ。お互いガス抜きには良さそうな相手だと思ったみたい。

    で、日にちも決めて、いざ待ち合わせ場所へ向かおうと駅のホームで電車を待つんだけど、本当にびっくりするほど萎えてる自分がいた。その日は珍しく体調が良かったし、外出も億劫じゃなかった。でも、知らない人に全然会いたくないし、別にセックスもしたくない。全然したくない。普通にひとりで散歩とかしたい。誰かとホテルに行くなんてまったく考えられない。そもそもラブホテルなんか行ったことないし、緊張するし、疲れそう。せっかく珍しく体調がいいのに、わたしなにしてんだろ。

    それにわたし、後腐れない関係をもつなんて無理だわ。一度会って、なんやかんや体の関係を持ったら、それなりに情を持つ。どんな感情であれ、持ってしまう。わたし全然向いてない。

    そしてなによりも、Aくんとしたあとも、罪悪感につぶされず恋人と仲良く普通に過ごして、時には何事もなかったようにセックスしたりするんだろか。絶対にわたしは1人でそんな重大なことを秘密保持できないし、どうせ泣きながら暴露しちゃって恋人を悲しませて信頼を失うだけになるのが目に見える。

    恋人と仲良い関係でありたいから、他の人とセックスする。なんて本末転倒なことをしようとしてるのか。

    そもそも、わたしは本当に性欲が強いのか。1人でしたいとも思えないし、恋人にムラムラしてるかどうかも疑わしい。

    わたしは「さみしい」んじゃないか。さみしさと性欲を履き違えてないか。もちろんその2つは完全に別個にできるものじゃないけど、でも知らない人とセックスすることでさみしさが埋まるかって、たぶんないんじゃないかな。したことないから分かんないけど。検証しに行けばいいのかもしれないけど。

    でもでも、そのさみしさはたぶん、本当にわたしに愛情を持ってくれる人じゃないと埋められない。セックスに「気持ちよさ」だけを求めてるわけじゃない。親でも友だちでもいいけど、そのときはそれらともうまくいっていなかったし、それらでは到底埋められないほどの果てがないさみしさで、助けてほしいと思うほどのさみしさで。もちろん恋人とセックスするだけじゃ埋まらないんだけど、少なくともその夜は安心して眠れる。わたしはまだ必要とされてるんだって思えるから。

    ずいぶん前に読んだこの記事が、なぜかその時頭をよぎった。当時はブックマークもしてなかったのに、よく思い出したなと思う。 わたしは、さみしさにふりまわされてたんだな、と分かった。さみしさをうまく運用できてなかった。

    さびしさの運用について - Mellow My Mind d:id:mellowmymind 502 users

     

    そんなこんなを、電車にのる前に考えて考えて、何本も電車を見送って、がんばった化粧もぐちゃぐちゃに崩れるほど泣いて、改札からでた。駅員さんに出してもらった。家に帰った。ちゃんとA君にも謝罪のメールを送って、おわった。

    いろんなことが吹っ切れた気がした。欲求を昇華させるために、スポーツクラブへいくきっかけにもなった。このスポーツクラブが良かったことは、下記記事参照。

    「他人のため」の傲慢さ - ボーダー女

     

    「さみしさとセックスについて」は、友だちと話したことあるはずなのに、張本人になってしまったら、そして肝心なときでは、どうもごっちゃにしてしまうらしい。この2つはよくない組み合わせだ。

     

    なぜだか、今ではあの猛烈なさみしさとセックス欲は襲ってこない。あと性欲も戻ってきた気がする。だいぶ体調が良くなったことで、外出したり友だちと会えるようになったからかな。あとスポーツクラブ。

    そうするとうまい具合にことが進んで、今では恋人へのイライラも不満もなくなり、良好な関係が続いている。

    あのとき、電車に乗らなくてよかった。でも、A君と約束すらしていなかったら、まださみしさと性欲の違いに気付けなくて、今の恋人との良い関係を築けなかったかもしれない。

    ちょうどタイムリーにもこんな記事があった。

    「セックスしたい」というのは、「恋人と愛のあるセックスをしたい」の略..

    高校生でも分かるのに、わたしは分かんなかった。女子高生すごい。