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    「他人のため」の傲慢さ

    自分のために生きることのなんと難しきことか。

    http://c71.hatenablog.com/entry/2014/06/29/155110

    人のために 人が喜ぶにはどうふるまえばいいか。いつもそればかり考えてきた気がする。

    仕事をやめて、 一人になって、ありがたいことに家賃を出してくれる(一緒に暮らしてくれる)人がいて、傷病手当金が出るから自由に使えるお金もいくらかあって、 「しばらくは働かなくていいよ、 好きなことをしていいよ 」って言ってもらえる環境にあったのに、 どんなふうに生活をしたらいいかわからなかった。どう時間を使えばいいかわからなくて。

    急に好きなことをしていいよっていわれたら、何をすればいいかわからない。

    大学はわりかし授業が詰まっていたし、 「好きなこと」重視で何かを選んだことがほとんどない気がする。 部活を選ぶときも、本当は吹奏楽に興味があったのに友だちに強く誘われたから断れなかった。大学も就職先も母親の意向を汲んでの選択。悩んで悩んで結局悩むことを放棄して、親に決めてもらった。自分の興味を大事にしてこなかった。だから、すべて人のせいにできたんだと思う。

    20歳の時に恋人ができた。一回りほど年上で、背がわたしより7cmも低く、痩せぎすの根暗そうな人。フリーランスで定期収入がなく社会的地位が低そうな人。 母親は猛反対した。で、別れようとした。けど別れなかった。恋人が全力でぶつかってきたから、わたしも全力でぶつかるしかなかった。このまま付き合い続けるという自分の選択が間違ってるんじゃないかと不安だったけど、でも彼といると心穏やかでいられたし、彼は自分自身の気持ちに正直で自分の意志をとても大事にしてるところが新鮮だった。

    最初は彼はなんてわがままな人だろうと思った。でも訳もなく惹かれた。自由でいいなって。わたしもあんな風になりたいなって。自分を大事にしてみたいと思った。けどそれは今までの自分を否定することだから、惹かれながらもそんな自分を受け止められなかったし、認めたくなかった。結局、仕事を辞めてから楽しいと思うことが何もなく何も決められない空洞の自分を思い知らされた。

    恋人が会社に勤めはじめてから、1人でどう過ごしていいのかわからなかった。でもそんな状態の自分が恥ずかしくて、恋人にも知られたくなくて(たぶん知ってたと思う)、Facebookによく載ってるようなカフェに行ってみたり、公園に行ってみたりして「わたしはあなたがいなくても好きなことを楽しめる人間ですよ!ほら、散歩とか楽しんでますよ(写真パシャリ)」と、恋人にわたしは楽しんでるアピールをしてた。楽しい時間を彼と共有したいんじゃなくて「わたしは1人の時間を楽しめる自立した女です」と証明したくって。

    だから恋人が帰宅したら、一日で起きたすべてのことを話したくてしょうがなかった。すごいでしょ?ね?すごいでしょ?いいことがあったよ!悲しいことがあったけど泣かなかったよ!ね、認めて!!

    どう考えても保護者扱いしてたし、恋人に依存してる自分が嫌で憎たらしくて、でもどうすることもできなくて呆然とする日々が続いた。自分の憎たらしさが相手に投影されるのか、恋人が憎くてしょうがなくなることもあり、突拍子もない言動をとることもあった。怒ったり暴れたり泣いたり。

    恋人はよく耐えてくれたと思う。よく別れなかったなと思う。これじゃ恋人に申し訳ないし、何よりも別れられるのが恐怖だった。大学で仲良かった先生に相談して、病院を紹介してもらう。

    わたしは情緒不安定性人格障害という診断をされた。

    病気、とか、治るものというより、性格や気質のことを指すから、これからこの性格と長く付き合っていく上で、もっと楽に生きれるように、カウンセリングをはじめてみましょう。

    今もカウンセリングに月2回通っている。恋人も同席してくれて、一緒にいろんなことを話した。二人だけで話すのではなく、第三者である臨床心理士の方がいることで、いつもより穏やかに冷静に話し合うことができた。波がありつつもわたしは徐々に少しずつ心が穏やかになってる。恋人も相談する人がいなかったので、先生に話すことでずいぶん楽になったと言ってた。

    自分がしたいことってなんだろうと考える。とりあえず体でも動かしてみるかと安直にスポーツジムへ入会。でもこれがとてもよかった。 誰のためでもなく「自分のため」に使える時間だった。 自分が気持ち良くなりたいからスポーツクラブへいってヨガをする、プールで泳ぐ、サウナに入る。これはすごいことだと思った。もったいない贅沢な時間。誰に見せつけるでもなく、わたし一人のみが満足できる時間。

    今まで自分のためだけに時間を費やすことに罪悪感があった。 漫画を読んだりだらだらしたり、人のためにならないことで時間を使うと落ち込んだ。世間様から責め立てられてる気がした。

    でもわたしが自分のためだけになることをしてても、恋人は怒らない。むしろもっとそういう時間を増やしなよといってくれる。わたしが気持ちよさそうにだらだらしてると、恋人もうれしそう。恋人が喜んでくれるなら、わたしももっとたのしいことを見つけよう。そしたらいつの間にか、楽しいことがどんどん見つかり、周りを見渡せばたのしいものとか可愛いものとか、お気に入りのものに囲まれるようになってた。それに気付けるようになってた、というのかもしれない。

    人のためになることをしなくていいのかなあ。恋人はいう。人のためになる行動を自分がしようとするなんて、それは傲慢じゃないかな。人が喜ぶことを自分は分かってるってことでしょ。人が何に喜ぶなんて分からない。結局は押し付けになってるってことがあるんじゃない?人を予測していつの間にか決めつけてたり。rieaiziの想像できる範囲内で人は動いたり考えたりしてないからね。何が人のためになるかなんて誰にも分からない。その中で自分がしたいことをして喜んでくれる人がいれば、万々歳ってものじゃないかな。

    これからまた仕事を始めたとしても、前ほどどん詰まりにならない気がする。だって自分にとって気持ちいいことやお気に入りなことをいくつか知ってるから。嫌なことがあっても、気分転換をする術をたくさん持ってることは大事なはず。

    こうやって、生きやすくなってくのかな。そう考えると、先のこともそんな悪いことばかりじゃない気がする。