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  • ごちゃごちゃなやつを整理してくる

    今日は前職の同期と会ってくる。
    今でも前の組織は苦手だけど、同期にはとても恵まれてたと思う。ほとんど新卒かそれに近い子たちばかりだからか、みんな素直で、なおかつ聡明で感じのいい雰囲気をもちあわせた優秀な子たち。

    ただ、従順すぎるところがわたしと合わなかったかもしれない。
    わたしなら不満や反感を持つような場面でも、素直に受け止めてしまう。そういった潔白なところがみんなに共通してた。

    「組織ってのはそういうとこだぜ?我慢しろよ」といってくるような穿った見方をするような子は、わたしともう1人の男の子以外はいなかった。

    わたしと似たような考えをするその男の子は、わたしと違ってちゃんとその反抗心とうまく付き合ってた。

    よく2人で飲みにいった。わたしがしんどくなったときも、休職したときも、辞めたあとも、連絡をくれた。本当にクールでナイスガイなやつだった。

    今日は同期の女の子ばかりと会ってくる。またみんなの良い子なところによって、自分のドス黒さを思い知らされて、ゼイゼイ言いながら帰ってくるかもしれない。

    でも、わたしは同期のみんなと会いたかった。
    前職に対するいやな気持ちを少しでも消化するために。前職に関わるすべてのものへ嫌悪感を持ってるので、それををちゃんと分類するために。
    悪いことばかりでなく、良いこともあった。
    悪い人ばかりでなく、良い人もいた。
    悪くみえたことでも、いろんな側面からみたら仕方なかったこともあると思う。

    そんなことを、ちゃんと知りたいなと思って、同期のみんなに声をかけた。

    今日はクールガイはいないので、わたしも思い切り潔白な子のふりして、おいしいごはんを食べてきます。

    昔の仕事の話だけじゃなくて、今のことや、今わたしがだいぶ元気にやってるところをみてもらえたらなと思う(退職するかしないかのときは、みんなに迷惑かけるほど荒れてたので)。

    それではいってきます。

    追記22:10帰りの電車内にて

    そもそも、同期みんな、わたしが思ってたほど潔白じゃなかったことが分かった。

    「思い出のマーニー」を観て〜本当に仲良くなりたい相手と本当に仲良くなるには〜

    予告編も見ず予備知識もまったくない状態で「思い出のマーニー」を観てきた。以下感想を。多少のネタバレはあるかも。

    とてもよかった

    わたしとしては「コクリコ坂から」に似てる清々しさを感じた。じんわりした鳥肌が立つシーンもあった。
    ストーリーとしては、伏線がたくさんあり展開が多少読めたので、さほど驚きはなかったんだけど、かえってそういう潔さが気持ちいい。
    ストーリー展開より、どのようにみせるか。どのように心の機微に触れさせるか。そういう意味では「マレフィセント」もだな。

    マーニーが魅力的

    マーニーがとても素敵。金色のふわふわした髪と、こっちまでがにっこりしてしまいそうになる爽やかな笑顔。
    湿地の広がる夜の海に浮かぶ船の先頭で、タイタニックの女性のポーズで立つ姿がとても綺麗だった。
    アンナとマーニーの庭でのダンスも素敵だった。最近「ボールルームへようこそ」という漫画を読んでるから尚更いいなと思ったのかも。
    アンナが描いたマーニーの絵も、とてもよかった。最後、色付けがされてて、ぐっときたな。

    おじさんおばさん夫婦が理想的!

    療養先のおじさん、おばさんがよかった。
    心配しすぎず、放任しすぎず。好きなだけ遊んでうまいもん食べてたくさん寝ろ!ガハハ!という感じ。
    ちゃんと帰る場所(ホーム)として機能しているところ。
    あんなあっけらかんとした、保護者・夫婦のもとなら、どんな落ち込んだ人でものびのび、悠々と療養できそうだと思った。
    子どもがくよくよしても、失敗しても、いじめられても、悲しいことがあっても、心配しすぎず、追求しすぎず、咎めすぎず、急かさず待ってくれて、すべてを笑って受け止めて、嫌な日もなんてことない日常をの一コマだよって自然と教えてくれるような人たち。

    ポテトチップスをばりばり頬張りながらうひゃひゃとテレビを観る肝っ玉母ちゃんと、そのとなりで、のびのびと不恰好なフクロウの彫刻を楽しそうに掘ったり、日曜大工みたいな好きなことをのびのびとやってる2人をみて育ったら、ああこの世の中もさほど悪いことばかりじゃないんだなと子どもは思えるかもしれない。

    何時までに帰ってきなさい!夜遅くに帰宅すると玄関でウロウロ待ち迎え。「何してたの!?何を考えてるの!?困ってることがあるの!?なんとか言いなさい!ちゃんとしなさい!隣のなんとかちゃんはあんなにああなのに、あなたはどうしてこうなの!すきなことばかりして暮らせるわけじゃないんだから!大人になったらつらいことがたくさんあって我慢しなきゃいけないんだから。これくらいのことでくじけてどうする!お前は弱い子だ。」
    もし自分の両親・保護者がこのおじさんおばさんだったなら…、と映画を観た人の何人かは思うかもしれない。
    この夫婦はたぶん、理想として描かれているんじゃないかとわたしは思った。

    仲良くなりたいときこそ、時間をかけて知る

    うろ覚えだけど、マーニーが確かこういう素敵なことを言ってた。
    「すごく仲良くなりたいから、あなたのことを少しずつ、ゆっくりと知っていきたいの!」
    これは本当にいいなと思った。
    この人いいな!仲良くなりたい!と思ったら、わたしは猛進して質問責めしてしまうから、かえって相手を怯えさせてうまく関係を結べなかった例がいくつもある。これは男女問わず。
    焦ってしまうんだよな。
    でも、ゆっくりと、時間をかけて、ひとつひとつ相手のことを知って、自分のことを知ってもらう。
    タイミングや縁なんかを大事にし、会わない間に相手のことを想う時間が多ければ多いほど熟成し、結果的にいい関係が築けるんだと思う。

    あの人のことをもっと知りたい!
    この感情ってすごく好き!わくわくする!
    普段何してる人なんかな。趣味はなんだろ?どんな食べ物が好きかな。どんな音楽が好きなのかな。どんな人が好きでどんな生き方をしてきたのかな!
    少しずつ、ゆっくり、知りたい。

    実は、今日はスポーツジムのヨガで、同年代くらいの子に思い切って話しかけてみた。
    とても穏やかな可愛らしい女性で、わたしの「仲良くなりたい欲」が暴走しそうになったけど、今日観たマーニーのことばを思い出したので、自分を制し、名前もきかず、また来週のヨガで会いましょうと、さっぱり別れた。

    来週がすごく楽しみになった。ゆっくりとこの気持ちをあたためながら、彼女との関係を大事に築けていけたらいいな。

    その他

    最後のエンドスクロールに、プロデューサー見習い 川上量生 という文字を見かけた時は、クスっときた。

    曲もよかった。とても雰囲気にあってた。

    普段はあまり感想を書かないようにしてる

    小説、漫画、映画などで、これはいいなと思うものをみたら、できるだけ感想やあらすじを書き残さないようにしてる。
    感想を書くと、その時感じたよさが損なわれてしまう感覚がするし、すべてのよさを書ききれなくて、もどかしくなる。
    それに、その時感じたことが、記録に残したことだけになってしまう気がして、もったいないと思ってしまう。
    でも今回、マーニーの感想を書いてるのは、新たな挑戦ってことで。今のところ、さくさく書けて、もどかしさもなくて、すっきりしてる。

    たぶんここにあらすじを書き加えたら、言い表せない気持ちやストーリーが書ききれなくて虚しくなるんだと思う。

    ストーリーもいいけど雰囲気もね

    映画は、ばーん!!どーん!うわあああ!系なものや、血の気が逆流する類のものより、じわじわと震えたつような、そんな感覚を味わえるものが好き。日常系、ほのぼの系か?といわれれば、ちょっと違う気がする。
    小説も、大どんでん返しのストーリーが読みたいわけではない(漫画は別かもな)。
    たとえば、今ぱっと思い浮かんだのが、森博嗣の「少し変わった子あります」とか「喜嶋先生の静かな世界」とか。小川洋子の「猫を抱いて象と泳ぐ」とか。

    その時の自分の心境や状況で、ストーリーや感じられるものが変わってくるような、自分次第で変えられるような、そういうストーリーのものが好き。

    猫を抱いて象と泳ぐ (文春文庫)
    喜嶋先生の静かな世界 The Silent World of Dr.Kishima (講談社文庫)
    少し変わった子あります (文春文庫)

    話し合いってほんと疲れるな

    月曜日はすべてがフリーになる日。バイトもヨガもバレーも何もない日。なので、月曜日にすべての用事を済ませるようにしている。粗大ごみの手続きや歯医者の予約や銀行など。

    時間が足りない。

    ***

    恋人と話し合う機会が増えている。ケンカではないけど、「少し話そうか」といって始まる話し合い。時々、不毛な類のもある。

    籍を入れることになったことや、わたしがバレーとバイトを始めたときから、話し合いの頻度が急激に増えた気がする。おそらく、お互いに環境や生活スタイルの変化、スケジュール増加に、ついていけてないんだと思う。そして、それらの変化の仕掛け人(?)はすべてわたし。

    だから、被害者になりがちで、受け身になりがちな恋人。

    わたしが生活スタイルを変えたんだから、相手に負担をかけさせないために、わたしが合わせなきゃいけないと思い、わたしが疲弊する。

    わたしの用事はすべて趣味範囲のもの。お金だって入ってくるものより出ていくもののほうが大きいほど恋人の趣味はお金が入ってくる類のもの。

    だから恋人の趣味を優先させなきゃいけないと勝手にわたしが思い、家事もすべてわたしひとりで負担しようとしてるのがよくないのかも(手伝ってといえば快くやってくれるのに)。

    わたしがじたばたしていることに、恋人は気付かない。

    恋人は環境の変化に追いつけないし、気付かない。地球変動が起きたら真っ先に死んじゃうタイプ。だから、恋人はいつも同じスタイルを貫く。

    いや、恋人が気付かないのでなくて、わたしが考えすぎで、突き詰め過ぎなだけかもしれない。

    ただでさえ2人の時間が少なくなったのに、何をいがみ合っているんだろうと思う。言い争いは疲弊するだけ。

    解決法を見いだせることや、お互いが考えていることの違いが浮き彫りになりすれ違いが解消することもあるけど、結局は不満を伝えて、まあ仕方ないね、時間が解決するだろうと保留にすることの方が多い。

    ***

    バレーやヨガやバイトなどで、体を使ってるときは、頭を使わないので、とてもいい。頭の中でぐるぐるする思考が止まって、頭が休まる。これはレム睡眠とノンレム睡眠の構造に似てる。

    簿記の勉強は頭をつかうけど、やっぱり「思考」の方が頭をさらに使うと思う。国語より数学より、哲学の方が頭を使うという感じ。

    事実関係の確認とそれに対する相手の考えや自分の考えを整理して、分類して、より良い方法を精査すること。

    感情をおざなりにさせずに、今できることとやってること、今後できそうなことと理想についてを、分けて考えること。

    ぐるぐるする。

    ***

    昨日は阿波踊りの祭りにいってきた。みんなが思う存分、阿呆になっていい日。ハレの日。全力で楽しむ姿に、ぐっとくるものがあった。

    日常と非日常を分けて生活する良さを感じられた。

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    昨日の日記帳に適当に描いた一部分をここに載っけます。
    ヨーイヨイ!

    酔っ払って近況をかいてみる

    ちょっと久しぶりに書いてみようと思う。順番ぐちゃぐちゃでまとまらないと思うから、箇条書きで書いてみるな。

    • 最近とにかく時間がない
    • 横になってぼーっとする間もないので、疲れる。でも充足感はある
    • 恋人は1人の時間が常々ほしかったらしいから、1人の時間を思う存分ぐうたらして、思う存分ごりごり開発に臨んでる
    • 2人とも自分の1人の時間を優先させてるから、結果的に密な2人の時間がとれてない
    • 恋人はなんも思ってないけど、わたしに不満がたまってる現状

    わたしとしてはさみしい気持ちもあるけど、お互いにいいことでんなと思う。
    だけど、「お互いに譲歩」せずに、一方ががんばって2人の時間を作ろうとすると、ひずみが生まれた。つまりわたしが意識的に2人の時間を作ろうとしてた一方で、彼は1人の時間が突然たくさんできたから、ラッキー!と思う存分1人を謳歌してたので、わたしの不満がたまった。

    • その時点で悔しい

    けどこれくらいのバランスでちょうどいいのでは?悔しいけど、わたしが慣れていければいいな。各々がたのしい自分の時間があっての、2人の時間。一緒に住んでるのだから、生活(衣食住的なやつ)を共有するだけで十分(なのか?)

    • バレーもバイトも勉強もたのしい

    バレーはへたっぴだし、バイトも怒られたりクレームつけられたりで散々だけど、あれだけ「時間がたつのが遅すぎる!やることなさすぎてつらい!」と嘆いていたわたしにとって、やるべきことややりたいことがあることは、うれしいこと。簿記の勉強もすごいたのしい!観たい映画も読みたい書籍や漫画や小説も尽きない!時間が足りん!
    「もう8月後半なの?」というセリフを自然と口にしてる自分に酔う。

    • ちゃんとことばや態度で示してほしいと恋人に伝えた

    この5年、恋人にずっと同じことを伝えてるけど、言わなくてもわかると思ってるところがなんとかなりませんかと伝えてる。
    口に出さなくても想いは届くと思ってる。
    わたしが察してやっと成立することは、察する側がつかれるんだよと。
    たとえ昔から寡黙な人だとしても、ことばで自分の気持ちを表すのが苦手でも、表情が乏しくても、人に触るのを極端に恐れてしまう性分だとしても、できる限りでいいから、ことばや、態度や、スキンシップで、伝えてほしい。
    大事に思ってるよとか。ごはんおいしいよ、とか。浴衣を着たら、ニヤッとするだけじゃなく「似合ってるね」とか肩に手を置くとか、手をつないでみるとか。一緒にパンドラで画質の悪いドラマみてるときも、あえてわたしの肩に触れないような体勢で見るんじゃなく(わたしに触れるのがいやなのか?と思ってしまう)、自然な体勢でみるとか。キスするのは100%わたしからなのを98%にしてみるとか。
    自分のまとまらない考えを、わたしに説明してみるよう努めるとか。1人で生活してるわけじゃないんだよ。2人で生活してるんだから、必要最低限のことは教えてほしい。

    人は簡単に変われないから、もしかしたらわたしが傲慢で貪欲なだけかもしれない。恋人に改善要望を出してるつもりが、追い詰めてるのかもしれない。

    各連によって、踊りや浴衣など様々で、連のカラーがあっておもしろい。ついったでふさこさんというわたしの好きな人が笛を吹いてるので去年から参加してるんだけど、阿波踊りみるのおもしろい。飽きない。ふさこさんとも会えたしお話できた。ふさこさん、きれいだった。アザラシ君の実物みてびっくりした。わくどきだった。すごくいいご夫婦で、ふさこさんがついーとするアザラシ君が大好き。
    からあげたべたけど、濃くてついそばにあった氷結を飲んで酔っ払ってる。どんだけ弱くなったのか。でへへという顔でこれ書いてる。

    • 人前式がいいかなと話してる。

    結婚式のことにとぶ。2人とも挙式はしない派だったけど、恋人にここ1年ですごい(量も質も)同僚ができたので、ちゃんとお披露目をした方がいいのかもしれないと頭を悩ませている。
    2人ともキリスト教徒でもないし、神道でもないし金かかるの嫌やなと話しとったんやけど、今朝ブログで人前式がいいという記事を見つけたので、人前式にしようかとLINEで話した。ゼクシィで人前式のできる会場を調べたら300万〜と出て、そっ閉じした。

    久しぶりに酔っ払ったな。なぜかいまアイスココア飲んでる。久しぶりにこんなの飲んだ。とても甘い。


    ハンバート ハンバート "ぼくのお日さま" (Official Music Video) - YouTube

    「いい仕事」とはなんなんやろか

    アルバイトのことです。
    銭湯のアルバイトは、今のわたしにとても合ってると思う。楽しみながら働けるということは、とてもいいこと。

    スタッフさんもいい人が多い。もちろん癖のある方は何人かいて、嫌味をいわれたりいちいち難癖をつけてきて、いやな気分になることもある。
    でもそれに対して「あの人たちの言うことを気にしちゃいけないよ!」と言ってくださるスタッフの方々がいる限り、わたしはやっていける気がする。

    業務内容は、主にフロントで入浴チケットの受け取りやタオルの整理、飲み物食べ物の販売などの細々としたことと、男女の風呂場および脱衣所の清掃業務。

    もちろん男性の風呂場にも、ずかずか入ってく。だいぶ男性の裸にも慣れた。
    男性の中には、これ見よがしに自分の股を突き出してわたしに見せてくるお客様もいるけど、スルーしてる。なんか立派とかそうじゃないものとか分かんなくて、全員同じものにしか見えない。

    スタッフの中で、20代の女性はわたし1人だ。だからか、男湯に入るとギョッとされる方もいる。特に10代後半から30代前半の男性かな〜。気を遣わせて申し訳ないなと思う。

    男性で年配の方は、わたしに優しく声かけをしてくださる方が多い。「がんばってね〜」とか「いつもありがとね〜」など。
    クレーマーのお客様も、どれだけ憤慨してても、わたしが若いからか駆けつけて一緒に謝ったら、少し穏やかになる。「ふ、ふん!次からは気をつけろよ!」とか。
    こういうときは、若いだけで得だなと思う。今のところ、だけど。

    ところが。女性客はそうもいかない。「今時の若いのは気がきかないね!」と、厳しい叱責をいただくことがちらほら。
    特に多いのは「あんた若いんだから、こんな仕事してていいの!?もっといい仕事につかなきゃ!」と言われること。これは正直、キツイ。
    確かに、若い女性が裸体だらけの場所で、みんなの髪の毛や陰毛、汗や痰やツバなどを清掃する仕事に就くことは、年配の方からすると変に思われるのかもしれない。「いい仕事」ではないと思われるのかもしれない。
    みなさんはわたしのためにアドバイス調でおっしゃってくれるので、悪気はないのかもしれないけど(嫌味っぽい人もいるけど)、本当はヘルスケア業界のオフィスワークをしたかったわたしとしては、突き刺さってしまうのだな。

    でも「今はこの仕事がたのしいと思えてるんだから、これでいいんだ」と自分に言い聞かせてます。
    正社員なら「いい仕事」なのかな。オフィスワークの方が「いい仕事」に見えるのかな。自分も知らず知らずの内に、この仕事を見下してたのかな。今のわたしに合ってる仕事こそが「いい仕事」でいいんちゃうかな。


    あと、仕事をしていく内に、男性客と女性客の違いが見えてきておもしろい。男性客は意外とみんな股をタオルで隠して歩いているけど、女性客はあけっぴろげな方が比較的多いこと(わたしが女だから?)。
    男性風呂のトイレの臭いがひどいこと。たぶん男性の方がお通じがいいからだと思ってる。
    女性客の方がシャンプー類でシャワーの場所取りをしがちなこと。これ、地味に困ってる。

    今のところ、日々おもしろい発見があるので、飽きずに仕事してます。

    最近は仕事後に、150mlの小さな缶ビールを飲むようになった。熱い湯けむりの中で作業することの多い銭湯のバイトからあがったあとの、ビールの格別なうまさを知れただけでも、得したなと思う。

    相手と密に時間をとること

    最近、恋人との仲がよくない。
    たぶんお互いに余裕がないから。

    わたしは銭湯のバイトに、不定期だけど主に土日メインで週2〜4程度入ってることと、バレーの練習に週1,2で参加してることによる疲れ。あと午前中に週1〜2頻度で通院してるし、時間に余裕がない。
    あとは感情の波が少し乱れてることもある。もしかすると、わたしが来月に仲の良い男の子と2人でごはんに行くことがいやなんだろうか。

    恋人はこの前、夜中にサーバメンテナンスをしていて、朝方まで起きてたことによる疲労と、最近根を詰める作業が続いてたこと、そして会社のごはんが続いてて帰りが遅くなってることが主な原因だと推測。帰りが遅くなると、起床時間も遅くなって、わたしとのすれ違いが多い。

    わたしは、仕事やバレーによる疲れをヨガで癒したいから、夜はヨガへ通ってることもあって、2人の時間がほとんどとれていないことも、不仲の原因の1つなのかも。

    こんなに2人の時間が取れていないことは、付き合って5年の中で初めてかもしれない。
    2人の時間というより、2人が密に話す時間が取れてない。時間の長さより、どれだけお互いがお互いに興味をもって話す時間がとれるか。

    そうなると、わたしが恋人へ冗談をいっても冗談にとられずイライラさせてしまったり、恋人がだんまりを決め込む(黙るし声も小さくなるし反応が乏しくなる)とわたしがイライラしたりする。

    今までなら、ケンカしても当日中に仲直りしてたんだけど、お互い疲れてるから話し合いをする前に寝てしまって、案の定、翌日もぎこちない感じで接することになる。

    よくないよな。


    共働き世帯はこれが普通のことなんだろうけど、うちはうまくいかないな。

    まだこの生活は始まって1週間程しかたっていないから、これから慣れていくのかもしれないけど、落ち着ける場所である家がストレスの場であることは、少しの間でもつらいものだな。

    わたしがもう少し予定を減らして調整した方がいいのかなと、今これを書いていて思った。
    週末のどちらかは2人であてもなく1万歩ほど散歩することが習慣だったので、それを作ることから始めてみようかな。

    難しいな。来月もわたしに外せない予定がいくつかあって、ただでさえちゃんと遂行できるか不安があるのに、恋人とこの状態が続くとなるとこわいなと思う。

    早めに対処していきたい。

    まだできないのか、最初からできないのか

    今日はバレーの練習後に、飲み会へ誘われました。
    だけど、どうしても怖くて、誘ってくれた方々の気持ちを無下に断ってしまいました。
    かなり露骨に、かなりキツく、狼狽しながら断ってしまった。

    プレイ中やプレイの合間の会話なら、なんとか耐えられるんだけど、飲み会となると、途端にこわさが倍増する。なんでだろうか。

    大勢の中に行くと、頭がうるさくなってしまって、うまく働かなくなるからかな。そういう醜態を、新しく知り合った人に見せたくないからかな。

    昔からの友だちなら、人が多い場ではわたしがぐだぐだになって目が回ることを、もうすでに知ってるから、誘われたら半分くらいの頻度で参加できる。めっちゃ疲れるけど。

    でもな。やっぱりな。親しくない人ばかりのところへ参加することは、理屈抜きにこわい。そういう感情を優先させた方がいいだろうと思うから、今となってもその判断に悔いはないん。だけど、断り方ってのをちゃんと考えなきゃいけないな。

    それに、これから会社勤めをする時がきたなら、ふいに親しくない人たちから誘われる機会があるかもしれない。
    だから、がんばって参加したかったのに。参加できるようになりたかったんだけど。
    できなかった。

    まだできない自分が情けなくなる。
    まだだめなのか、と責めてしまう。

    もしかすると、「まだ」というより、「最初から」なのかもしれない。
    自分に期待しすぎなんだろか。

    はやく家に帰って、おいしいごはんをつくって、それをゆっくりたべたい。
    お腹すいた。

    銭湯で働きはじめたよ

    ここ数日、またうつのひどいのがきてた。
    帰省やバレーやなんやかんやがいかんかったかもしれん。
    でも、そのうつ野郎は昨日の朝、去りました。起きた瞬間に、「あれま!」と分かった。本当によかった!

    波があることをすぐ忘れる。調子こいてバンバン活動的なことすると、次に来るうつの波の深さが大きくなる。
    波はできるだけ、変動が少ないのがよい。
    大きな活動ごとは、徐々に増やさねばいかんなと、当たり前のことだけど、そう思いました。
    そう思った矢先に、アルバイトを始めました。今日から。ついに。アルバイト!!ぎゃあ。

    いろいろ迷った結果、近くの銭湯で働くことにしました。
    今日はまだ初日だったから、ずっと清掃してた。もくもくと。

    お盆だから人が多くて、なんぼ髪の毛とってもとってもすぐ溜まる。床を拭いても拭いても、濡れる。めげる。
    でも、そんな単純作業のが、いいなと思った。仕事量自体は結構多くて、水分とったりトイレに行く暇もないほどめまぐるしく動いてるんだけど、今のところたのしいなと思えてる。よかった。この感覚だいじ。男湯もたのしいし。

    それから、今日わたしの指導担当をしてくれたスタッフさんが、とてもよい方だったことが幸いだった。丁寧に教えてくれるし、処世術みたいことも教えてもらえた。チャーミングな方。
    スタッフさんにちょっと怖そうな重鎮おばちゃんがいるので、そこは少し不安だけど、がんばってみる。

    そういや、今日は恋人は仕事の休憩中にプールで泳いでたそうな。自由だな。
    こんな暑い日に泳いだら、さぞ気持ちいいだろうな。

    明日もわたしは、こんな暑い日に湯けむりの中を、汗だくで風呂掃除をします。汗だかホコリだかなんだか分からなくてベトベトするけど、働いてるんだなという感じが分かりやすくて、いいなと思う。
    オフィスワークより、性に合ってると思う。
    何時間働いて、何円もらえるっていうお給料方式も、分かりやすくていい。

    分かりやすいってすてき。

    お給料は少ないけど、すでにもらってしまったので、これで傷病手当金の受給はおわり。その手続きを進めます。
    もらえる額は、働いてるのに10万近く下がるのは大きな痛手。不安。

    でも、傷病手当金をいただくことは、どこかで後ろめたい気持ちがあった。そのお金に、使いづらさを感じてた。

    実際問題、これからどんどん金銭面的に余裕がなくなってきりきりまいになるんだろうけど、それとも向きあいます。向き合って、工夫して、無駄買いを減らしてかないかん。

    不労所得、なくなります。
    労働所得もらいます!

    我が子を持つことについてこじらせてる

    ごめんなさい、書きます。受け入れられないから書きなぐります。もしかしたら消すかもしれません。

    めいっこに会いたい。

    あんなにくたびれたのに。寝てくれたらほっとして、はあ、1人の時間がやっと持てたと思ったのに。泣き止んでくれない時は「くそ!」と思ったのに。

    でも、めいっこはわたしを呼んでくれた。泣いて、抱きついて、抱っこしたら笑ってくれた。本気で必要としてくれた。

    もちろんわたしじゃなくても、かまってくれる大人であればだれでもよかったんだと思う。だとしても、全力で求めてくれた。

    今はめいっこと遠く離れて、わたしは一人でいる。恋人と一緒に住んでいるけど、日中は一人だし、恋人と一緒にいても、あんなに「わたしだけをみて!」という独占欲をもった愛情は持たれない。気楽な仲です。

    それは、めいっこと10日間一緒に過ごす前の普段のわたしなら、居心地の良い距離だった。

    でも、もうその頃の自分には、戻れなくなったのかもしれない。あんなにもわたしを求めてくれためいっこ恋人を、比較してしまう。恋人でも誰でもいいから、もっと必要とされたい、見える形で示してほしいと思うようになってしまった。

    恋人と幼児であるめいっことは愛情表現がちがって当然なのに。愛情表現が物足りなくなった。全身で、ことばでも態度でも肌でも示してほしくなった。

    さみしくなった。「抱っこ!」としがみついてほしい。わたしの胸元で眠ってほしい。起きたらわたしがいなくて泣いてほしい。さみしい。。

    これは本当にこわい感情。自分で書いててひく。

     

    わたしはいつの日か、我が子を抱ける日がきたらいいなと思ってた。まだ体調が不安定だし、今すぐにってわけでないけど、いつかは、、、と思ってた。恋人とも、二人の子どもをもてたらいいねと話してる。

    でも、今のわたしのめいっこへの想いを考えたら、ぞっとした。めいっこがもし自分の子なら、わたしは我が子を、自分の愛されたい欲を満たすめの存在にしてしまうのではないか、と。

    必要とされたいから、誰かの介助がないと生きていけない弱者を自ら産んで、自分なしでは生きていけない人間を製造しようとしてるのか?

    幼児の間はまだいいとしても、子どもの自我が成長して、自分の思い通りに動かなかったり、自分を必要としなくなった時に、ちゃんと手放せるのか?我が子を自分に依存させて無意識にコントロールしようとする、今のわたしと母親の関係である「共依存」にさせてしまうのでは??

    「ほら、あなた一人では何もできないでしょ。お母さんがついてないと」「あなたのためを思っていってるのよ」「わたしはあなたのために自分を犠牲にしてるのよ」「あなたを愛してるからよ」

    それだけは避けたいと思ってた。

    私はこの子を幸せにすることは出来ない。 - はなこのブログ。

    はなこさんのような母親になりたいと思っていた。

    はてなブログには見本のような母親がたくさんいる。ロールモデルとしてはありがたいけどだめな自分と比較してつらい)

    でも、すでにめいっこへの想いが、共依存関係への予備軍だという証拠だ。こんな想いを持ってるのでは、もうわたしはだめだ。だめだ。子どもなんてつくろうとしちゃいけない。授かりものだというのならば、避妊具なしのセックスは今までもこれからも、絶対あっちゃいけないんじゃないか。

    こわい。可愛いはずの我が子に、わたしのさみしさを埋めてもらうために産んで世話をし、その行動理由や感情を「母性」とか「愛情」と自分で誤認してしまうことが恐ろしい。

    もし我が子に「なんでわたしを産んだの?」ときかれたら、わたしはうまく答えられないと思った。

    生まれてくることって、事故みたいなもの - よもちかブログ

    (よもちかさんがおっしゃるように、わたしも事故だと思ってる節がある。なのに産みたいってどう考えても矛盾してる。こわい)

    我が子に興味本位でどうして?ときかれても答えに詰まってしまうところを、悲痛な表情で問われたら、わたしはつらくて体がもげてしまうかもしれない。

     

    わたしが実の母親からもらった返事は、「可愛いから」だった。可愛いから産みたくなるもんやろ。でも子どもの可愛い時期はすぐ終わっちゃうから、次の子、次の子と産みたくなって3人産んだそうな。

    母親が可愛がりたい対象としてわたしは産まれたのか。産んだら祖母にほったらかしにしといたくせに、産んだのは自分だからって今まで母親ヅラしてきたのか。小学生の頃にきいたことだけど、わたしは覚えている。

    だから、この問いに対する返事って、子どもにとって、とても重要な意味を持つんじゃないかとわたしは思う。

     

    「二人の愛情の証が欲しかった」

    ちがう!

    「二人が育児を通してさらなるステージへ成長するために?」

    ちがう!

    「いい家庭を築きたいから」

    これは論点がずれてる気がする!

    やっぱり、かわいいから、に尽きるのか?

    ことばでは説明がつかない、よな。

    わたしは、なぜ子どもがほしいのか。そもそも、子どもがほしいと思い始めたのは本当にこの1年以内だ。恋人と一緒に住みはじめて、この人となら…と思えたから。それと、めいっこが産まれて、めいっこに生かされた経験があるからだ。

    大げさだと笑われるかもしれないけど、絶対に伝わらないと思うけど、でも今から思えば、やっぱりめいっこに生かされたとしか思えないんだ。

    どうしても希死念慮にとりつかれて仕事辞めて実家に帰って、もう生きてられないと思った時に、姉が子どもを連れて実家にきてくれた。そのときはじめて産まれて3週間の赤ちゃんをみた。がんばってがんばってお乳をのんで、そのまま力尽きたように眠って、また起きたら泣いて、立派にちゃんとうんちもおしっこもして、またお乳をのむ。

    その存在がなんだか尊すぎて、わたしこの子の成長を見続けたいからもう少し死なないでおこうと思った。母親から罵倒されても、妄想の声が止まらなくても、発狂しても、この子が大きくなっていくさまを、自分がどんな姿になってでもいいから見たいと思った。

    いざ死のうと駅のホームへぐらりと体を傾けても、めいっこの泣く顔が思い出された。家族の顔でもなく、恋人の顔でもなく、めいっこの生きる姿だった。

    ホームでわんわん泣いた。高いとこ登って遠くに見える地面を眺めるときも、やっぱりめいっこが浮かんで、死ぬに死ねなくて泣いた。こわかったし、ふがいないし、生きたかった。あんなふうに生きたいし、生きる姿が見てみたかった。

    でも、やっぱりわたし自身が子どもをもつことはこわい。

    同じ目に遭わせたくない。悲しい思いをさせたくない。

    恋人からプロポーズを受けてもらえて、わたしの感情も穏やかな時期が続いたので、ああ、今このまま子どもが授かればいいなとつい最近まで思ってた。こじらせた「我が子をもつこと」についても、少しずつ落とし所を見つけてきたのかなと思ってた。で、実は生理が2週間遅れたから、もしかしたら避妊具に穴が開いてたということもあるかも!と思ってたんだけど、昨日生理きた。自分でも驚くほどがっかりした。

    めいっこ育児の疲れと、信頼してたカウンセラーがいなくなった喪失感も相まって、わたしは現在進行形で「我が子をもつこと」についてこじらせてる。

     

    なぜみなさんは、子どもを産んだんですか。なぜ産みたいんですか?

     

    恋人は、それはこれからゆっくり考えよう。結論なんてないけど、二人でさがしてみよう、といってくれてます。わたしも、そうしてみようと思います。まず、わたしが元気になりたい。

    自然に諦められるものなのか?まあいっか、産もうかと思える日がくるのか?こんな自分を受け入れて許せる日が来るのか?

     

    中勘助さんの「銀の匙」はいつ読んでも涙がでる。

    追記

    恋人は次のようなことを言ってくれた。
    「自分の愛されたい欲を満たすめの存在。必要とされたいから、誰かの介助がないと生きていけない弱者を自ら産んで、自分なしでは生きていけない人間を製造」という観点は、どんな親にも少なからずあると思う。
    でもそれはいろんな気持ちの一部分なだけであって、悪いことではない。
    自分を責めないで。 

    わたしは弱い。汚い自分を見つけて怯えてる。それが多くの人にとって当たり前のことだったとしても、許せなくなる。
    まだ、かっちかちで、肩の力が抜けない。

    一寸先が闇と絶望

    しんどい時について書いてみる。だから、今元気のない人や暗い話を読みたくない人は閉じてください。


    しんどいとき、混乱してるとき、朝起きたらもうすべてが絶望感であふれてるとき、そういうときは、1日がとてつもなく長く感じる。といえば簡単だけど、今日はその詳細を思い出して書いてみたい。

    どうやって過ごしていいのかが分からない。今まで自分がどうやって1日を過ごしてきたのかが思い出せない。これからどうやって1日の時間を過ごすのか分からないから、不安でこわくなる。
    何をしても間違ってて、何をしても自分にとっていやなことでしかない。

    何も予想がつかない。自分がこれからどこかへ向かってる姿や行動する姿が思い浮かばない。それは、計画をたてることができないということ。
    何もしたくない、に加えて、計画をたてられないということは、本当に何もできなくなるということ。怯えることと、つらいつらいと言うことしかできない。

    何もしたくない、といえば簡単だけど、何もしたくないというのはかなりつらい。
    たとえば、映画館にも行きたくないし、本も読みたくない、ごはんも食べたくない、寝たくない。こういう、自分が今からしようとする「積極的行為」なるものだけがいやになるわけでない。
    困るのは、「今そのままの状態でいること」すらがいやなこと。
    たとえばそのとき寝転んでたら、寝転んでることすらがいや。でも立ちたくもない。
    そのとき歩いてたのなら、歩きたくなくなる。でも立ち止まりたくもない。

    今視界に入ってる景色も見たくない。何も視界に入らないでほしい。でも目線をそらすことも目をつむることもいや。
    何も聞きたくないけど、耳を塞ぐこともこわい。なにもできない。

    立ちすくむか座り込んでしまうか寝転んでしまうか。ただ、じっとするだけ。もしくはへたりこむまで歩き続けるだけ。

    すべてがいやになるんだ。

    考えてるのなら考えるのやめたい。でも、もう何を考えていいのかすらわからなくなって、頭がうあーーー!ってなる。

    何もかもがいやってのはそういうこと。

    頭がストップする、のか、動き過ぎてストップしてるように思えるのか。

    今日は仕事へいった恋人にヘルプをした。駆けつけてくれた。2時間ほどそばにいてくれて、いろいろあったけど、なんとか気持ちが落ち着いたから、また会社に戻ってもらった。申し訳ない。

    恋人はなぜこんなわたしなんかと付き合ってるのか。結婚したらこれからずっと彼にこの重さを負わせるのか。そんなひどいことをしていいのか。

    昨日まで元気に明るく何事もなくいられたのに。もちろん前兆らしきものはあったけど。気付かないふりしたらこのざまだ。

    昨日寝る前、恋人に怒った。PMSとかも関係あるんだろうけど、双極性障害とかの影響なのかなんなのかしらないけど、異様に怒りの沸点が低くなるときがある。
    昨日はわたしが話をしてるときに恋人があくびをしただけで、激怒した。
    こうなると手が付けられない。自分でも何に怒ってるのかさっぱりわからない。わからないけど、理由なき怒りにわたし自身が翻弄される。こわくなる。抑えようとすればするほどエスカレートする。

    いったんすべての怒りを吐き出すと、急にハッと我に返るような瞬間がある。そして泣きながら必死で恋人に謝る。恋人もこの瞬間をいつもひたすら待ってる。
    待ってくれるから、今まで付き合ってこれた。いつもこんなわたしを許してくれるから、別れずに一緒にいる。

    豹変する自分がこわい。自分で自分が気持ち悪い。

    朝起きたら、まだ残ってる理由のない怒りと呵責などで混乱して絶望感でいっぱいだった。

    最近元気になってきたな、と思えば、すぐこんな状態になる。

    一歩一歩だ。
    やけにならずに。
    くさらずに。